午前中は大学院の公開期末評価である。石川研(ソーシャルビッグデータ)の社会人 D の方々が3名いるので報告を聞くのだが、仕事をしながら着実に論文を投稿していてすごいなと思う(投稿先、採否、今後の予定なども半期ごとに報告するスタイル)。すごいなと思うのは、落とされても落とされてもめげずに投稿して採録を勝ち取るスピリットで、これは見習いたい。
そういえば LREC という言語資源に関する国際会議に学生の論文(修論のコアとなった研究)が通った。研究室に入った1期生で今年度修士号を取得するのは3人いるのだが、これで3人中2人の研究が査読付き国際会議に採録されたことになる。2件とも、トップカンファレンスでこそないが、採択率5割程度の国際会議ではある(少なくとも分野内では存在が知られている会議)ので、勉強会も貧弱だった研究室の黎明期からいてくれた彼らがこうやってしっかり通すのを見ると、教員でよかった、と思うものである。
実は投稿したのは2件で(正確には、学生との共著でないものも入れれば3件)、1件は残念ながら不採録。白状すると、これまで学生との共著の論文で査読付き国際会議に落ちたことがあるのは今回を含めて3件で、落とされたことが圧倒的に少ない。筆頭著者が学生ではない共著論文は半分以上落とされているが、これは相手が学生なら教育だと思ってしっかり添削するが、相手が社会人だとその人を尊重して内容に関する大まかなコメントしかしないせいである。
採択率が高いのは別に誇ることではなく、内容的に出しても通ると思う場合でないと「投稿してみない?」と学生に声をかけていない(学生から「ぜひ投稿したい」と言うのを断ったこともないが、「これ投稿できそうですか?」と聞かれたら、ここにフルペーパーで出すならこの追加実験がほしい、というようなアドバイスをすると、ほとんどの学生は追加実験をせずに投稿を断念してしまう)、ということと、最初から通りそうにない国際会議には挑戦していない、ということなので、特に後者はあまりよいことではない。ただ、教員から投稿を勧めて落ちるのもどうかという気がするので、もっと自分からチャレンジしたいと言い出すような環境を作るべきなのだろう。(あるいは、最初からフルペーパーを狙えるようなネタで研究を進めてもらう)
あまり経験がないので落ちた学生にどのような言葉をかけるべきかよく分からないのだが、考えてみると自分も学生時代は論文に落とされたとき共著者の人に特に印象的な言葉をかけてもらった記憶はなく、一言二言「残念だったね」くらいで、しばらくそっとしてくれて(不採択通知には査読のコメントが書かれているのだが、落とされるとそれすらしばらく直視できない)、ほとぼりが冷めてから他の国際会議に投稿するためにさらにブラッシュアップを始める(今後の方向性を確認するメールをもらう)、というような感じであったので、落ちた人に特にかける言葉がないのは普遍的な問題なのかもしれない。
自分はというと、筆頭で国際会議に論文を書くときの採択率は1/2〜1/3くらいで、トップカンファレンス群に投稿しては We regret to inform you ... で始まる不採録通知をもらっていたものであった。今考えると、論文の書き方を分かっていなかったのによく投稿したものだと思うが、自分は通るんじゃないかという根拠のない自信も武器になるのかもしれない(少なくとも投稿しなければ通らないので)。
午後は機械翻訳勉強会。昨日に引き続き、新しい手法に関する議論をしたりする。自分もこれは割とおもしろい(かつ重要な)話ではないかと思うのだが、通すのに骨が折れる系の研究でもある(通れば、いろんな人が参照してくれるだろう)。
夕方は出版社の方とミーティング。ミーティングの時間と執筆時間のトレードオフなのだが、執筆時間を確保したいものである……。
ミーティング後、本日のノルマとして副査を務める学生の修士論文にコメント。1本あたり小一時間かかるのだが、これは長いのだろうか短いのだろうか。2ページまたは4ページの予稿しか見ない、という教員もいるだろうし、そもそも予稿すら見ない、という教員もいそうであるが、修論本体を見ようと思うとこれくらいはどうしてもかかる気がする(どれくらい薄い論文でも、30ページはあるので)。そもそも修士論文の提出から発表会まで4営業日しかなく、8本の修論がやってくるということは、どれくらい時間がかかったとしても1本あたり4時間以上かけることは期待されていないのであるが、論文誌の査読のつもりでじっくり見ると、こんな時間では到底コメントできないし、分野外でも詳しく査読しようと思うと途方もない時間がかかるので、いろいろ妥協した結果が1本あたり小一時間、という時間である。みなさんどういうふうにやっているのだろうか……。