論文誌書くには息を長くする

今日も出勤日。研究室の計算機の調子が変という連絡をもらったので、色々更新してみたりする。日野キャンパスのサーバ室の電源の問題でこのところ全然新しい計算機を購入しておらず、GPU を入れ替える(それまで使っていたものを外す)しかしていないのだが、電源の問題が解決したらサーバごと入れ替えていきたい(ので、そうなったらそこそこな予算を取りたい)。今年度中に少し工事できるかも、という話があったがその後音沙汰がないので、まあ増えないだろうな……。

昼から来週締め切り予定の国際会議の原稿のコメントを2件(合計3時間)。この2件は日本語の原稿がなく直接英語で書いてもらっていて、これでも普通に B4/M1 の学生が書けるのはすごいなと思うのだが(自分自身含め、昔はそんなの無理だったと思う)、やっぱり英語を書くというところで母語でないために時間がかかる、というのがちょっと悩ましい。英語がネイティブでもいい研究ができるかというとそうではないので、まず大事なのは研究の方なのであるが、それを効果的に伝えるためにはだいぶ早めから準備しないといけないのである。英語がネイティブ並みに使えたら、原稿自体を書くのはもっと楽になるはずなので……。

夕方は国際会議(ワークショップ)の査読を1件終わらせる。その傍ら、論文誌の査読を1件引き受けたのを思い出す。色々な理由で発表先を国際会議から論文誌に少しずつ変えようかと思っているのだが、尺が短い原稿に慣れていると、論文誌相当の研究をする、というのが大変な気がしている。短い尺でもコンスタントに出せるようになってきたので、次は長い尺でコンスタントに出せるようになればいいわけだが、質を上げるというプロセスが必要になり、これがちょっと悩ましい。

不採択の通知をもらうのは、投稿する側にとっても査読をする側にとってもロスが大きいので、できるだけ歩留まりを上げたいのだが、結局うちの研究室での国際会議の採択率を向上させたのは、全員に英語で論文を書いてもらうという目標を下ろしたのが一番大きかった(通らない論文にかける時間を、通る論文に振り向けることができる)し、論文誌重視になるとさらにこれを進めないといけないわけだが、全員のレベルを上げる、というのとの両立が難しいのである。

まあ、最近は内部進学生が学部時代から研究テーマを大きく変えずに研究を続けることで、修士のうちに論文誌に投稿する、というサイクルが確立しつつあるので、論文誌がポツポツ出るのもそんなに先の話ではないと思っている。体経験的にはこういうのは意識してから3年後くらいに達成でき、達成できる気配は1年半後くらいに分かる、という肌感覚があるので、恐らく2023年ごろ(今の B3 が M2 に、M1 が D2 になるころ)には達成できているであろう。

それより気になるのは日本語で論文誌を書くことで、学生からすると日本学生支援機構の奨学金の返還免除に大きくプラスに働くし、書くこと自体がとても良い勉強になるので、日本語で書くならぜひ論文誌は書いてほしいのだが、結局日本語だと世界的には埋もれてしまうので、エフォートの最適化という観点からすると、論文誌は日本語で書くとしても、国内の研究会・年次大会はスルーして、まず(ショートでもワークショップでもいいので)国際会議で発表して、それをベースに(日本語で)論文誌にする、というのがベストな気がする。さすがに学部生はそれでは大変かもしれないので、最初にワンクッション入れてもいいと思うが……。