研究の賞味期限がすぐに来る

今日は在宅勤務。後期は講義が少ないのと、前期のような強制出勤イベントが少し減ると想定できるので、週1〜2日の出勤でいいと思われ、だいぶ楽である。まあ、今年度はともかく来年度はほぼ毎日出勤するつもりでいるけど(日野に出勤するのはいいのだが、南大沢の授業はオンラインでやりたいし、全学の委員会等もわざわざ南大沢に行きたくないのでオンラインで参加したい)。

午前中は1.5時間メール処理して、1.5時間原稿を書く。今週末と来週末はそれぞれ下の子と上の子の運動会で、土曜日に仕事ができないことが予想され、そのために前後の平日に仕事が溢れることも想定されるので、そろそろ原稿を書くのはやめておいたほうがいいような気がしてきた。

昼からは基盤技術グループのミーティング。oka さんが参加する初めての定例ミーティングなので、タスク説明をしたりしながら9人分の進捗報告を聞くと、昨日と同じく4時間かかる。来週以降はタスク説明がなくなるので、3時間で終わると思うのだが……。ミーティング、長くしようという意図は特にないのだが、1人20分で計算しても9人いると180分=3時間で、研究テーマの類似性でグループを作るとどうしてもこれが最小単位になってしまう。

夕方は論文誌の原稿と返信レターを見てコメントを入れる。昨日は投稿中の論文誌の査読コメントを受け取ったので、コメントについて検討していたが、国際会議に出すのとまた違う感じ。

以前は

  1. 国内全国大会または研究会(いずれも査読なし)に投稿→発表
  2. 国際会議に投稿(不採択の場合は採択されるまでこれを繰り返す)
  3. 論文誌に投稿(不採択の場合は採択されるまでこれを繰り返す)

という流れで研究を進めることが多かったのだが、深層学習に関するトピックだと1年で研究の流れが大きく変わってしまうので、1番目のステップから3番目のステップまで2年以上かかったりすると、査読のコメントで「これはもうみんなやってるし当たり前では」「これは他にも XXX や YYY という手法があるので比較すべきでは」というのが多数ついたりして、最初に発表した段階では我々が初めてだった(その後、一般的になった)、ということは主張することはできるのだが、確かに自分が査読者の立場に立ってみると、新しくないと感じてしまうのは仕方ないので、悩ましく思っている。結局査読者(あるいは査読が終わって世に出たものを読む人の)の立場としては、その論文を読んで勉強になったかどうか(おもしろかったとか、知識が増えたとか)が重要であり、2年前に読んでいたら勉強になった内容が、旬を過ぎたら「これならブログの方が勉強になる」と思われても仕方がないので……。

そこから逆算すると、結局研究発表のゴールをどこに置くかという話と、それを考慮してリードタイムをどう設定するかという話で、1から3をシーケンシャルに(パイプライン的に)やるのは深層学習に関する研究だと(うちの研究室の力では)もう無理で、1をスキップして2から始めるか、あるいは3を断念してゴールを2にする(国際会議で発表したら、もう論文誌にしないで次のテーマに行く)、という選択肢が有力であり、そして最近は、そもそも2だけやる、あるいは3だけやる、というのも現実的な選択肢になってきているように思う。まあ、世界的には、まず arXiv に投稿し、その後 N 回国際会議に投稿をチャレンジし、発表場所として許容できるレベルの国際会議に通らなかったら、もうその原稿を国際会議で発表するのを諦める、という戦術の人も少なくないような気がしている。で、うちは研究室的にはどのようなステップでもいいのだが、博士後期課程の学生は博士号取得のために計画的に論文を出していく必要があることを考慮すると、最初から論文誌に投稿する、というのが最近は最適解に近いような気がしている。

本当は自分としては腰を落ち着けて、いろんな外部の人のコメントをもらいながら少しずつ研究テーマを熟成する、というようなスタイルの研究が教育的だと思うのだが、流れの速い分野だと、なかなかそうはいかない……(最初からこのような流れでもサバイブできる人でないとこういうテーマでは厳しい、という状況になってしまっている)。