文系はリベラルアーツで生き残る

朝は PTA 地区委員のお仕事で旗振り。うちの地区は大体子ども1人につき1回地区委員が回ってくるようなので、これで旗振りを次にするのは下の子が小学校に入るとき以降であろう。あとの仕事は来年度の地区委員の選出で、これはこれで気が重い仕事であるが……。

午前中はメール処理をしてから授業の準備。Moodle の使い方が多機能すぎてよく分からないのだが、都立大の EMS(kibaco)よりは遥かに使いやすい。自分的には Google Classroom くらいの機能で十分な気がする。

Google Classroom の難点は重いところで、Google 製のサービスなのになんでこんなに重いのが放置されているのか?と疑問に思うくらい(レポートの成績を返却するのに1人数秒かかるので、人数が多いとまともに使えない。)

午後は ICU の非常勤。授業後にも受講生や TA と雑談したりしているのだが、色々と興味深い環境だと思う。文理融合とリベラルアーツは別の概念だと思うが、ICU のリベラルアーツの歴史とそれでこのような学生が育っていることを総合的に判断すると、これはこれで(学生がそのまま自大の大学院に進学して研究を追求するというのはほぼないという点を除けば)、これはこれで一つの完成形のように見える。

隠岐さんの「文系と理系はなぜ分かれたのか」にも「文理融合学部」の事例(広島大や京大の話)が書かれていたのを覚えているが、問題の検討段階から両方の人が入って議論を尽くすこと、というのが少なくとも大事、みたいな話があって、なるほどなと思ったものである。今は各地にデータサイエンス系の学部学科が作られているが、学際系の学部学科が作られるのは今に始まった話ではなく、20年前から普通にあったので、その知見(特に失敗例)を反映させられるとよいな。

で、個人的にはこのデータサイエンス系の諸学部・諸学科はうまく運用すれば(ICU だけではなく)リベラルアーツ的な学際学部・学科として日本に定着させることができ、それが日本の文系学部を今後数十年かけて軟着陸させるために重要かつ必要なことだと思っているので、一橋の新学部もその資金石と考えている(一橋的には大学全体でリベラルアーツ的な感じで、学部単体で目指すのとは違うと思うが)。結局のところ、文系だと特定の分野だけ詳しくてもダメで、広い領域の知識がないと意味がないが、現代ではその中に数理的な思考力やプログラミング力が含まれているので、少なくとも社会を牽引していく立場になる人はデータサイエンス的な知識が必要だろう、と思うのである。