論文の読解力と雑談と

水曜日は在宅勤務の日。とはいえ今日は研究会と論文紹介の間の時間に @tetsuyasakai さんの NLP コロキウムがあったので、それを聞いたりする。コロキウム、裏話というか研究者としての矜持についてのお話で、大変ためになった。

このトーク、研究室の学生にも聴講を勧めてみたのだが、研究とは良い問いをするのが重要であって、良い問いをするというのは良い問いの仕方を知ればある程度は訓練でできるようになり、それをするためには学会や研究会での他の人の質問の仕方を見ればいいと思っているのである。前はうちの研究室でも NLP 若手の会シンポジウム(YANS)やら言語処理学会年次大会の YANS 懇親会などで外の人とつながることである程度達成されていたのだが、今はそういう機会がなくなってしまったために研究室の中だけでは研究水準を上げるのが難しく、どうすればいいのだろうかとずっと考えている(特任助教の方々に来ていただいたのは、その対策の一つであるが)。

本学の学部生は(←うちの研究室の学生、という意味ではない)教員の言うことより外部の人や先輩の言うことに大きな影響を受けるようで、そう分かってからは外部の人を招いて喋ってもらったり(これは研究室内外両方)、先輩が勉強や研究の面倒を見る制度を導入したり(これも研究室内外両方)していて、それについてポジティブなイメージもネガティブなイメージもないのだが、先輩とのつながりを作るというのはコロナ禍で機会を作りにくくなってしまったのがやりにくい。

午後はオンラインで進捗報告を聞く。体調によって対面とリモートを柔軟に切り替えられるようになったのは、いい時代である。

それはそうと、論文のサーベイの能力がなぜかコロナ禍の2年で下がっている実感がある(対面を経験している世代にはなぜかこの問題がない)。サーベイなんて一人で読んで理解するだけだから、対面かリモートかはほぼ関係なさそうなので、意外(どの論文を読めばいいのかという調査能力、選んだ論文のどこに重要なポイントが書かれているか把握する能力、そしてその重要なポイントを理解する能力、全てに渡った話)。それとも論文について雑談したりする機会が実は結構あって、以前はそれによって論文が読めるようになっていたのに、それが失われているということなんだろうか。むしろ実験とか論文執筆の方が対面でないとレベルの維持が難しいように思えるのだが、逆にそちらはコロナ禍で以前と比べて大幅に変わった感触はない。ただ研究アイデアを生むには雑談が重要というのはみんな言っていて、実験に入る前の勘所みたいなものを育むのにサーベイがあり、それがコロナで失われていると思うと、確かに関係があるのかもしれず。

夕方は PTA の仕事で小学校に行く。3年生の主任の先生や、他の担任の先生とお話しするが、明らかにみなさんオーバーワークっぽくて気の毒になる。PTA がサポートしないと教育が回らないのはおかしいんじゃないの、と言う意見もあるだろうが、もっと教員以外がサポートした方がいいと思うし、その「サポート」は地域の父親も入った方がいいのではなかろうか。(結局ここで母親の負担を減らさないと、母親が父親と比べて仕事を十分にできないことにつながるわけで)