人を育てる人を育てるための環境

昨日はスーパー銭湯で一息ついて小一時間ほど仮眠して、2日間添削が滞っていた言語処理学会年次大会の原稿6本を添削。そろそろ1回の添削が1時間以下になり、30分くらいで見られるようになった人は順次松本先生のところに添削に出してもらう。松本先生は金曜日に宮崎に行かれていたようだが、土曜日は奈良に戻ってらっしゃるようなので……

合間合間に実験のデバッグに付き合う。少しでもプログラミングに関することだと、楽しくてあっという間に時間が過ぎてしまう。結果から原因を推測してバグを突き止め、解決する、という作業が好きなんだなと思う。こういうのは研究だけでなくても、エンジニアとして働き始めても必要な能力だと思うので、卒業までに付き合って一緒に体験することができてよかったな、と思う。こういうのは、付き合ってくれる人がいるかどうかで全然効率が違うし、聞けば10分、聞かなければ1ヶ月、というようなのがよくある。

まずは論文に書かれている手法を正しく理解しているか、ということが大前提なのだが、正しく理解していても、正しく実装されているかどうかは別問題で、実装が間違っていることが往々にしてあり、さらに言うと、実装が正しくても評価が間違っている、という場合もある。こちらも、評価尺度を正しく理解しているか、というハードルと、理解した上で正しく実装できているか、というハードルがある。たとえば適合率 (precision) と再現率 (recall) の式は単に3つの数を数えて割り算するだけなので簡単そうに見えるが、何を true positive、false positive、false negative と数えるべきか、というのは自明ではないので、式だけ見て理解した気になっていても、実装してみる、あるいは実装して現実のタスクで評価してみると、いろいろと分かったつもりで分かっていなかった、ということが分かったりするのである。

大学で教員をしていると、こういう (自分は昔に通り過ぎてしまったが) ちょっとした理解で研究が進まない人のお手伝いをすることができて、段々ペースが上がってきて研究が形になってくる、という現場に立ち会うことができるのは一つの醍醐味なのではないかと思う。きれいになった最終形の、教科書に載るような仕事にしか興味がない人にはしんどいかもしれないが、自分はカオスに対する耐性があるようで、混沌とした状況が少しずつクリアになるのがとても楽しいのである。

学生の人たちからすると、社会に出てから初めて自分の上司 (あるいはメンター) になってくれる人、つまり社会人としてのイロハを叩き込んでくれる人がその後の人生に多大な影響を与えることだろうと思うが、願わくばいまの M2 の人たちのそれぞれが、素敵なメンターの方と巡りあえますように。

添削しながら、先日NAISTの図書館で借りた「教師が育つ条件」を思い出した。

教師が育つ条件 (岩波新書)

教師が育つ条件 (岩波新書)

これは大学の話ではなく小学校、中学校、高校の教員を育てるという話である。はっとするような内容があるわけではないが、穏やかな目線で、生徒を育てるだけでなく、教員も教師として育っていく過程を描いていて、どういうふうに教員同士研鑽するかだとか、すごくいろいろな条件が必要で、それを維持するために日本の特に中等教育の先生方は尽力されているのだなと思った。

生徒や学生から見ると教員は何年も学校にいるのでものすごく立場が上の人で絶対的な存在に見えるのかもしれないが、学生から教員になりたての人は教師としては1年目、あるいは数年目であって、学生よりもはるかに自分自身の立ち位置について何も知らない存在で、うまくガイドしてくれる人、サポートしてくれる環境がある、というのが、教員がちゃんと教員として育つためには必要なのだろう。

そういう意味では、NAIST、特に松本研は、学生としての居心地も半端じゃなくよいので、みんな博士後期課程に進学したがるくらい (爆) で、自分もそれには同意するのだが、教員としての居心地も (すぐに明らかに分かるようなものではないが) これ以上ないくらいよく、本当にいろいろと松本先生をはじめ周りの教職員の方々が、気を配ってサポートしてくださっているのだなと、涙が出そうになるくらいありがたいこともある。たぶん、こういう思いになれる人は、松本先生の定年までの期間を考えるともう片手で数えるくらいしかいないのが至極残念であるが、学生だけではなく教員もしっかり育てようとしてくださるのは、学生のころからずっといる自分としては、感謝してもし切れないものがある。

松本先生は研究者としても尊敬しているが、やはり一番すごいなと思うのは、そういう「人を育てる人を育てる」ということができる人だ、ということかなと思った。これは松本先生自身、電総研時代の田中穂積先生のように、そういう人に恵まれて来られたのもあるだろうが、こういう環境がもっと世の中に広がるとよいなと思うのである。

昼間に言語処理学会年次大会の論文に関係する実験の進捗を聞く。いろいろとタスク・手法について分かってくる。とはいえ、ちょっと時間が足りないような気がする。だいぶ前からスケジュールを切ってあったのだが、他の仕事もしていたようで、なかなか時間が取れなかったそうで、正直なところかなり (結果的にも残り時間的にも) 厳しい。とりあえず、できるところまでがんばってみる、という方向で合意。

自然言語処理関係で研究を発表できる機会は、査読なしのエントリーレベルとしては毎年3月開催の言語処理学会年次大会と毎年5月、7月、9月、11月、1月開催の情報処理学会自然言語処理研究会 (通称 NL 研) が主なものである (他にも関連する学会・研究会はあるが、松本研はこの2つがメイン)。

3月の言語処理学会年次大会が毎年600-700名近く参加者があるお祭り的なイベントなので、博士の人は毎年 (ちゃんと研究論文を書くことが理想だが、書かないにしても近場で開催されるなら) 参加するとよいと思う。修士の学生で、博士に進学することを検討・希望している人は、昨日も書いたような、入力と出力の間のギャップを埋めるという意味で、できるだけ早いところ発表したほうがいい。

ただ、あまり焦ることはなく、拙速で中途半端な状態のものを言語処理学会年次大会に出すよりは、しっかりした研究をして5月の NL 研に出し、それを発展させて修士のうちに査読付き国際会議に投稿するのでいいと思う。もちろん、たくさんの人に会えるのは言語処理学会年次大会のほうなので、そちらに出るメリットは大きいのだが……

徹夜明けなので夕方には帰宅したが、午後3時に奈良から京都行きの電車に乗るなんて久しぶりで、なんか変な感じだった。