人間に勝つことが目的ではない

出かけるつもりだったが、朝から雨なのでキャンセルして家でだらだら。全巻無料で公開されている「ブラックジャックによろしく」(booklive 版) を妻の解説つきで読んだり。紙の単行本も持っているはずだが、全部実家にあるし (もうブックオフに行ってしまった可能性も高いが)、やはり電子書籍のほうが気楽に読めてよい。一人暮らししていたときは、よく週末に電子書籍で漫画を読んでいたのを思い出した。複数人だと共有しにくいので、二人暮らしになってからは、やっぱり紙で買うように戻ったのだが……。

先日購入した「人間に勝つコンピュータ将棋の作り方」を読了。

人間に勝つコンピュータ将棋の作り方

人間に勝つコンピュータ将棋の作り方

内容的には、情報処理学会人工知能学会でときどき特集されるコンピュータ将棋や囲碁の解説を読んでいる方には最新情報が載っているわけではないが、昔のコンピュータ将棋のアルゴリズムや実際に人手でパラメータチューニングをどのようにしていたのかが書かれていて、興味深い。確かにこれは (詰将棋など一部のトピックを除いて) 研究テーマとしては厳しいものがあったというのはよく分かる。

一方、巻末の松原さんのあとがきで、以下のように書かれていたのが衝撃だったが、確かにそうだなと思わされる。

少し前までは、コンピュータ将棋が世界チャンピオンである名人に勝つXデイはいつ来るかが話題になっていたが、筆者にとってもはや興味がなくなってしまった。(p.290)

もうコンピュータ将棋がプロ棋士の強さを越すであろうことはほぼ確実で、いつ越すか (2-3年という意味でのあと数年) という段階に入っている、ということである。全然人間に勝てなかった時代から考えると隔世の感があるが、機械学習が導入されて一気に変わってしまった。こんな日が来るとは、中学生のころは思っていなかったし、生きている間になるとも想像していなかった。

同じようなことが恐らく機械翻訳でも起きつつあり、今の精度は十分であるとは言えないが、たぶん機械翻訳も、近いうちに人間よりはるかにうまく翻訳できるようになるだろうと考えている。いくつかのブレイクスルーが必要だったが、十分環境が整っているように思われるのだ。

先日のオープンキャンパスでも、日本語と英語の誤り訂正のデモをしたのだが、半分くらいの方が「これって翻訳はしてくれないの?」とおっしゃっていて、「翻訳はあちらの知能コミュニケーション学研究室でデモをしています」と誘導することができたのだが、人工知能分野、特に自然言語処理の研究が受け入れられにくいのは、人間が (子どもでも) 簡単にできることをコンピュータでやれても「ふーん」と思われるだけで、逆にできないことがあると「こんなのもできないの」と逆にがっかりされるからである。人間ができないことをやれると、逆にそれが技術的には相当しょぼいものでも「おお〜」と思ってもらえる。

だからといって一般向けには前者ではなく後者を作った方がいい、というわけではなく、技術的にも困難を乗り越えて、デモとしても映えるものが作れるのが理想であるが、やっぱり自然言語処理だと機械翻訳くらい複雑であったほうが、感心してもらえるのだろう。機械翻訳でも、重箱の隅をつつくような変換ミスを探して責め立てる人はいるのだろうが (日本語入力でもそういう人いるし)、大多数の人が使えるレベルはそう遠くない未来ではなかろうか。