やっとのことでインドビザを入手

朝、火曜日のリベンジで高の原からバスに乗ろうかと思ったが、やはりバス待ち45分に耐えられなかったので、車で通勤。

午前中、査読報告の執筆。先日笠原先生とも査読付き国際会議で発表された論文をどこまで論文誌に載せてよいか、という話をお伺いしてみたが、どこの学会も編集委員会ではそういう話ばかりだそうだ。最近英語で発表した論文をベースに論文誌に投稿する人が増えてきているようで、悩ましい。

個人的には以前も書いたように、日本語で論文をまとめることにも一定の価値があると思っているし、日本語でオープンアクセスの良質な研究文書が読めないのはもったいないと感じている。全国大会や年次大会の論文は、人工知能学会の全国大会の原稿は誰でも無料で読めるのだが、たとえば言語処理学会の年次大会の原稿は著者が公開していなければ読めないし、国際会議の論文があるじゃないかと言われても、必ずしも英語を読む人たちばかりではないので (研究者なら当然読むだろうが、世の中そういう人が全てではない)、日本語で読めるのは日本人にとってはありがたいのである。

あと、日本語で発表するのが査読なしの全国大会や研究会ばかりだと、研究のレベルがよく分からない学部生や修士の学生が、日本語で書かれた謎な研究会原稿をベースに研究がしたいと言い出したりするので、そういう学生にせめて査読のある論文誌で発表された研究をベースにしてほしい、と言うことができる、というのも (かなり弱いが) 利点の一つかもしれない。

最近の学生は査読付きの国際会議やワークショップで発表された論文を読んでいるという意味では以前よりよくなっていると思うが、こんな論文をベースにしないほうがいいんじゃないか、というような論文を参考にしようとすることもあるので (そういうときは松本先生もバッサリ切るが)、書かれている言語の問題ではなく、そもそも研究の善し悪しを判断する眼を養ったほうがいいのだろうが……。

確かに英語で書かないと国際的には意味がないのでそうするという理由も分かるのだが、それなら相応に内容を変えたほうがいいんじゃないかな。もちろん言語のハンデがあるので、表現のレベルで変えるのはしんどいのだが、自分で書いたものを読んで新たに書くくらいの勢いで表現が変わっていたら、同じ言語で書かれていても、だいぶ印象が違うと思うのだが……。(言うは易く行うは難し)

昼からインドビザ申請のために、大阪まで。これまでの経緯は先週月曜日の日記に書いた (追記しているので、特に東京の申請センターで申請予定の人は、再度見るとよいかもしれない。たとえば大阪はオンライン申請書しか受け付けないが、東京はその場で書くのもOKらしい。) が、11月5日に窓口に提出して3日後にはできていて、いつでも取りに来ていい状態になっていたのである (東京の申請センターは2週間かかるそうだが、大阪は3営業日)。

受け取りのための窓口は16:00-17:00しか開いていないようだが、駅を寝過ごしたりして申請センターに到着したのは16:10ごろ。窓口は1つしかなく、すでに30人以上待機している。受け取りは番号札を取る必要はなく、申請のときに受け取った引換証を窓口で提出すれば順番に呼んでくれるようだ (そんなこと、どこにも書いていないが)。

30分ほど待ち、無事受け取り完了。会議ビザ。所属機関の推薦書はFAXで提出していたので、原本を持ってくること、と言われたので持ってきて提出したが、会議の招待状はPDFを印刷したものでOKだったし、内務省と外務省の許可証は特に求められなかった (一応提出したが。COLING 参加の方は、会議のページにあるものを印刷するとよい)。申請センター大阪は、東京と比べて申請時の審査が厳しい反面、出るのは相当スムーズなようでよかった。

会議のプログラムもようやく出たようだし、現地でお会いできる方は (ビザ取得の艱難辛苦を乗り越えて) 現地でお会いしましょう。

帰りは京阪で帰ってきたのだが、新しいおけいはんが決まっていたのね。