長編小説=マラソン=博士論文

寒い……雪か。原稿一つ提出。今月はあと原稿二つ、来月は一つ。気乗りしないと書けないものだが、乗ると寝食忘れてけっこう捗るのは昔から。寒さが苦手で寒い時期のパフォーマンスが悪いので、なんとか克服したいのだが……

先日ふと本屋で見かけて買った村上春樹のインタビュー集「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

が予想以上におもしろかった。長編小説を書く感覚と短編小説を書く感覚は違う、という話。短編小説はともかくうまくないといけないが、長編小説は自分の言いたいことが言えれば、それで琴線に触れる読者がいてくれれば、うまくなくてもそれで成功、という話。

研究も個々の国際会議に通す話は短編小説みたいなもので、博士論文は長編小説かな。自分も3年前後で一仕事、というのを自分の人生であと何回できるんだろうか、と思う。

あと長編小説は機が熟さないと書けない、という話も納得。長編は書きたいときにしか書かないから、〆切もないし、書きたくないけど〆切があるから書かないといけない、という状況もありえないそうである。じゃ、長編小説を書いていない時期なにしているのか、というと、英語の小説の翻訳をしたりして小銭を稼いだりしているそうで。

もう一つの有力な小銭の稼ぎ方はコラムなど随筆を書くというものだが、村上曰く長編小説は自分の中の引き出しのネタをつなげて書くもので、コラムを書くとそういうネタを使ってしまうので、長編小説家は随筆は書かないほうがいい、という意見は新鮮だった。彼がコラムを書くのは、長編小説を書き終わって、その中で使うことができなかったネタで、当分使う予定がないとき、忘れるくらいなら書こう、というものらしい。

自分も(小銭が稼げているわけではないが)こうやって日記を書き続けてはいて、ときどき研究の話も書いているのだが、確かに彼が言うことを感じることもある。とはいえ、研究の話も楽しみにしてくれている人もいるので、書かなくなるということはないと思うけど。むしろ、論文を書かず日記しか書かなくなってしまったら危ない。論文を書かなくなるくらいなら、日記で研究ネタを小出しにするのを止めるか、サイエンスライターのように普及に徹して一歩引いたほうがいいのかなな、と考えている。