本屋に行くと「国境なき大学選び」
国境なき大学選び 日本の大学だけが大学じゃない! (ディスカヴァー携書)
- 作者: 山本敬洋
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2010/07/17
- メディア: 新書
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著者は武蔵出身、東大の教養学部国際関係論を卒業したあとタフツ大学で修士号を取得したとのこと。12人へのインタビューで構成されているのだが、海外大学というわりにはアメリカ礼讃だったり、その癖アメリカの理科系のPhDコースはお金がかからないことを全く書いていなかったり、いまいちな感じである。
それよりもっと残念なのは、登場する人たちはほとんど学部で海外に行った人なのだが、日本語の能力が高校生で止まっているように見えることである。それはインタビューの中でも「敬語が使えなくなった」など何人も書いているが、根本的に日本語でアウトプットする能力が飛躍的に伸びるときに海外にいたせいで、その代わりに英語なり中国語なりで読み書き会話ができるようになったわけで、トレードオフの関係にあるのだが。武蔵の高校生はこういう文をよく書くのだが(自分も含め)、大学院まで行ったならもっとちゃんとした文を書いてほしい。Amazon の書評の
表紙の文字はとても明確で分かりやすい言葉を使ってます。
しかし、本の内容と文章には、分かりやすさがありません。
紹介される大学は、著者の知人が行ったことのある大学のみ。紹介内容も、知人への質問とその受け答え。
それ以外は理解もしにくく読むのもおっくうになるような複雑な言葉遣いで、よく分からないことがごちゃごちゃと書いてありました。
(日本の大学生はあまり海外の大学に行かないとか言いたかったんだとおもいますが、難しい言葉遣いで内容のなさを変に誤魔化している感じ??もっとシンプルな方が断然読みやすく使える本になったと思います)大学進学前の中高生を相手に書いたつもりなのかもしれませんが、
大学で論文でも書くような、ムダに小難しい言葉づかいで、とても読みにくく感じました。
東大行ってても(むしろだから?)難しいことを相手に分かりやすく噛み砕いて書けないものでしょうか。一言申し上げるなら、「目標と内容が整理されておらず、読みやすさを意識していない為に本来の役割を果たせていない本」であります。
というのは全く同感であり、「海外の大学に行くとこんなに日本語が不自由になるのか」という逆の目的を果たしている気がする。先日紹介した「理系大学院留学」
理系大学院留学―アメリカで実現する研究者への道 (留学応援シリーズ)
- 作者: カガクシャ・ネット,山本智徳
- 出版社/メーカー: アルク
- 発売日: 2010/03/31
- メディア: 単行本
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とはいえ「国境なき大学選び」のほうにもいいところはあって、たとえば学部で留学するのはよいのだが、就職はほとんどの場合日本に帰ってくるか日系企業の現地法人に行くかくらいしかなく、登場する人も日本に帰ってきたり、結局学部でアメリカの大学に行っても修士で日本に帰ってきたり、アメリカの大学に行ったらアメリカで就職できるわけではなく、むしろアメリカで就職できないことのほうが多い、とちゃんと書いてあるところ。これは「理系大学院留学」が理系に偏っているので文系の人は読んでも状況が違うから仕方ないわけであり、文系で留学すると(期待するほど)あまりいいことないよ、というメッセージはものすごい勢いで発信しているように思う。(理系文系という用語の使い方はここでは問わないことにする)
あと、学部から3年もしくは4年留学した人も、「学部3-4年大学で来るくらいなら、高校生のときに1年間留学するほうがよい」と、高校生のときに1年の留学を体験した人もしていない人も書いているので、これは参考になった。自分の子どもが高校で「留学したい」と言いだしたら止めずに行かせてやろうと思う。ただし大学になって「行きたい」と言ったら「自分で奨学金稼いで行きなさい」もしくは「理科系で大学院の PhD コースからならお金かからないから、大学院から行きなさい」と言うだろうが……。
自分が思うにそもそも分野を「文系」とか「理系」とかに限定して高校生に発するメッセージというのは根本的に間違っていて、アメリカで働きたいなら高校では理科系に行きなさい、大学は日本でいいので理科系の学部でみっちり勉強しなさい、途中1年くらい交換留学にでも行って、大学院から海外のPhDコースに行きなさい、それが海外で働くために一番の近道です、と教えることではないかと思う。世の中のけっこうなものは理系的アプローチも文系的アプローチもできるし、入り口で分けてしまうのは日本人の悪い癖である。
たとえば自分の専門である「自然言語処理」はコンピュータを使ってことばの本質に迫る研究分野なのだが、文系的アプローチから攻めれば言語学になるわけで、「ことばの研究をしたければ、言語学で、それは文学部にあるから文系だ」と決めてしまうのは大変もったいない。高校生の段階でやりたいことがあるのは結構なことだが、いろんな攻め方を考えるとよいと思う。(そして、理科系から文科系に行くのは楽だが、その逆は困難なことが多いので、どちらか選べるならまず理科系に進学したほうがよいだろう)
英語を使って働きたいと思えば思うほど、英語以外をちゃんとやらないと働けない、というのは逆説的ではあるが、中学時代からの友人でいま国連で働いている武蔵の同級生がいるのだが、彼は英語よりフランス語のほうができるような人で、大学は慶応に行ったがアメリカに交換留学で1年くらい行っていたし、東大の院に進学してから国連でインターンしたりして今のポストを見つけた(このあたり記憶があやふやだが)そうで、結局英語が使いたいからアメリカに行きます、というのでは全然道が見つからないのは当然であり、やれる仕事があって英語もそれなりに使えるので仕事できますよ、となるのである。
だから、当然全然英語が使えないのは問題ではあるが、まずは専門性を高めることのほうが遥かに重要で(これは日本の大学にいてもできる)、それを分からず闇雲に「海外に行けば英語も使えるようになるだろうし、なんとかなる」と思っても、語学を身につけるために必死になっている間に専門知識を身につける時間が奪われているだけで、結局おめおめ日本に帰ってくるしかなかったりする。
「日本の大学はダメだから海外へ」と考える人もいるのだが、レジャーランド化しているのは文科系の分野だけで、理科系分野の日本の大学はそんなに世界的にも悪くない(し、かなり勉強させられる)ということはもっと強調されていいと思う。どの分野で、なにが学びたくて、将来いつどこでどういう仕事がしたいか、ということを考えて自分の進路を決めるべきだ。そういうことを教えてくれる人がいなかったことがこれまで日本から海外に出て行く人が少なかった理由だと思うが、いまはこうやってインターネットでいくらでも調べられる時代なので、みんな積極的に出て行ってほしい。