文系と理系の中で揺れ動く

Google Calendar に記録もなければ写真も撮影しておらず、何をしたのか全く思い出せない1日。

先月に発売された隠岐さや香「文系と理系はなぜ分かれたのか」を読む。自分自身、現役時代から浪人時代にかけて「文系とは、理系とは」と(割と受験勉強そっちのけで)もやもや考えていて、浪人時代はわざわざ雑文を書いて予備校の先生や友人に配ったりしていたくらいなので、昔から関心があるのであった。

その後、自分は結局文系なのか理系なのかよく分からない教養学部基礎科学科(実際科学史・科学哲学の同期4人のうち、文科から来たのは自分1人だけで、残り3人は理科から来た)に進学し、大学院では自然言語処理という学際領域に「理転」したわけで、それが理系なのか文系なのかは最近はあまり気にしていない。ちなみに隠岐さんは科哲の先輩である(自分が科哲にいたころは、ちょうど海外にいらしたころと重なっていた時期が多かったと思うが)。

内容を簡単に(乱暴に)まとめると、よく言われる「世界(=欧米)では理系・文系なんて区別はない、日本独自のものだ(から悪い)」というのは事実として間違っていて、欧米でも文脈は違えど理系・文系に相当すると思われる区別はある(が一筋縄ではまとめきれない)、ということ。あと、巷の理系・文系談義は歴史的経緯を無視あるいは軽視して語られることが多いが、日本の「理系・文系」の区別は近代化の過程で(理系というか工学重視の)近代国家的な要請から生まれたものなので、「区別に意味がない」と主張するというのは歴史的経緯からしてちょっと無理があると思う。昔は意味があったか現代は意味がない、という主張ならまだ分かるが、アメリカを中心にむしろ現在は STEM(Science, Technology, Engineering, and Mathematics)あるいは STEAM(上記プラス Art)と言われるように、理工系と人文系を分けて議論する風潮になってきているので、結局学問そのものの性質で決まるというより社会的・歴史的な文脈で(区別の必要性が)決まる、というので(学部時代に科史・科哲に進学してから、井戸端談義ではなく学問的に検討してみた結果として)自分としては納得したものであった。

あと、本の感想としては Amazon のレビューに書かれていることと全く同意見で、この本はよくまとまっているサーベイで、類書がないので貴重な本だと思う。また、このレビューと同じく個人的におもしろいと思ったのは広島大学の学際系の学部の話。学際系の学部で成功するのは最初からいろんな分野の人が議論に参加して作った場合であって、理系の人ががっちり決めたものにあとから文系の人が入るとか、あるいは逆で文系の人が土壌を作っているところに理系の人を借りてくるみたいなのはうまく行かない、というのは興味深い分析であった。うちの学部(システムデザイン学部)も名前的には何をやっているか不明な学部だが、上記の STEAM に相当する学部(インダストリアルアート学科は Art)であり、自分ももはや人文系ではなく理工系のマインドセットになっているので特に問題なく過ごしているが、学際系の学部を作るならちゃんと人文社会科学系の人も最初から声をかけて立ち上げないとダメなんだな〜と思ったりした。