初めての海外生活はジェットコースターに乗るようなもの

パナソニック採用の8割外国人だそうで。

パナソニックの場合、10年度新卒採用1250人のうち海外で外国人を採用する「グローバル採用枠」は750人だった。11年度は外国人の割合を増やし、新卒採用1390人のうち、「グローバル採用枠」を1100人にする。残る290人についても、日本人だけを採るわけではないという。大坪文雄社長は『文藝春秋』10年7月号のなかでこうした方針を示し、「日本国内の新卒採用は290人に厳選し、なおかつ国籍を問わず海外から留学している人たちを積極的に採用します」と述べている。

日本から海外にインターンシップや就職する人を増やしたいと常々思っているのだが、その裏ではこうやって日本企業も海外から人を受け入れる必要があるだろう。日本企業は「社内公用語=英語」しないともう世界で生き残れないなんて記事もあったり、先日の東大辻井研でミーティングやメーリングリストは英語だったり、京大石田研や東工大杉山研でも同様(杉山研は飲み会まで英語らしいが)だそうで、わが奈良先端大の松本研でもメーリングリストは日英併記することになっているし、大学院ではどこも英語化が進んでいる。

英語の(社内、大学内とか)公用語化に難色を示す人もいるかもしれないが、実際必要なところはすでにそうなってきているので、10年前20年前の大学や会社ならいざしらず、「反対」と言ったところで無駄というか、嫌だとかそういうレベルの話ではすでにないのである。

ふと思い出したが、自分は大学3年生(4年目)のとき、大学の交換留学でシドニー大学に1年間(正確には9ヶ月)滞在した。アメリカのたとえば UC バークレーUCLAミシガン大学などは数十倍の人気で、日本人のアメリカ人気、というか、東大生のブランド志向が如実に現れるのであるが、シドニー大学やモナシュ大学、オークランド大学などのオセアニア地区の交換留学は、定員4人のところに応募したのは自分を含めて3人という定員割れの状況で、TOEFL も受けていなかった自分でも通ったのは、(バカバカしい話ではあるが)東大生がアメリカやイギリス以外に行くのは都落ちみたいな考えをする人が多かったからだろうな、と思う。(実際、自分も含めてオセアニア地区に留学する人は、人生見つめ直したいとか、サーフィンしに行きたいとかいう人たちで、なんか研究したいとかそういう感じの人はいなかったような気がする(笑))

ともあれここで言葉の通じない(英語だから通じるかと思ったら本当に通じない)オーストラリアに行ったのが自分の人生の大きな転換点であったわけだが、その当時哲学青年だった自分からすると、シドニーに行くのは語学留学で行くわけではなく、科学哲学や科学史言語学を学びに来たわけで(これらのプログラムが一番充実していたのがシドニー大学だったのだ)、さて学ぶぞ! と来た訳だが、哲学の授業なんかに出たりすると、いくら自分に伝えたいことがあっても相手に伝えることも、まして説得することもできず、「言語の違いだけで説得することもできなくなる哲学って無力だなぁ」と思ったのが一番大きかったような気がする。

これは、たぶん言語の壁以上に、実は哲学の問題を自分で考えついたことがそれまでになく、いわゆる哲学書を読んで、他人が問題としている問題を自分で考える、ということばかりしていたので、自分から誰かに提供できるオリジナルな話題がない、ということにも起因する。もちろん誰しもなにもないところから新しい問題を考えつくのは奇跡に等しいので、最初は先人の後をなぞる時期も必要ではあるのだが、どこかでそれと訣別しなければならないし、哲学書読み始めて1年ならいざしらず、中学のころから数えると10年も哲学書読んできてこれではもう無理だろう、と思ったのであった。

そのときお世話になっていた家の家主さんの Alida からは「IT 系の大学院に行きなさいよ。戦争になっても情報系なら大丈夫だから」とか(戦争を体験した世代なので考えることが違う!)、「Mamoru は大学が向いているから将来教授になりなさいよ」とか言われていたのだが、情報系に進むという選択肢と、大学の教員になるという選択肢が合流する、ということはそのとき全く考えておらず、情報系に進むなら大学出たら就職かなぁ、そしたらいわゆる SIer だろうなぁ、シドニーで就職もありかもなぁ、教員になるなら哲学か言語学だろうけど、哲学の世界でやっていくのは無理だから、言語学かなぁ、そしたら台湾とかインドネシアに住み着いたりするのかなぁ、なんて思ってプレハブ小屋(に住んでいた)に籠ってボロボロ泣いていたのを思い出す。

告白すると、情緒不安定だったのか、週3回くらいは夜布団の中に頭から入って泣いてから寝ていた。大学に入るまでは泣いたことがあるのは指折り数えるくらいだったのだが、大学入ってから弱い自分も認められるようになったので、泣いて気分を発散してから寝たりするようなことをしていたのだ。(実際、シドニーに行ってから最初の3ヶ月くらいは死にたいくらいだった)

いま思い返すと、言葉も通じないのに日本で就職することをあまり考えていなかったのがなんとも言えないが、けっこう苦しい時期もあったからこそ、いまの自分があるのかな、とも思う(その後大学院に入ってもう一回苦しい時期が訪れるのだが)。

少し話が逸れてきたが、言いたいのは、すでに海外にインターンシップで行った人、もしくはこれから海外に行く人、不安なのはみんな同じで、初めての海外生活が不安でない人はまずいないので、自分が不安であるということを認め、不安でもなんとかなる、という自信をつけましょう、ということ。自分はどうも外から見ると海外に行ったり新しいことに挑戦したりするのが不安ではないように見えるらしいのだが、そんなことは全くなく、いつもそういうのの前は緊張して不安でぴりぴりしているのだが、新しいことに挑戦したあとは自分がもっと色んなことができるようになっていて、もっと楽しいことが待っていることを知っているので、不安でも飛び込むのである。

シドニーで学んだのは、人間言葉が通じなくても、仕事なくても、当座のお金さえあれば生きていける、ということで、たとえるならジェットコースターに乗るのと似ていて、ジェットコースターはスピードも出て怖いかもしれないけど、まずコースを外れて変な方向に飛んでいって死ぬことはないし、一生ジェットコースターに乗り続けることもなく、そのうち慣れるし、海外に行くのも同じで、海外に行っても恐らく死ぬことはないし、どこかで帰ってきたければ帰ってくればいいし、いずれにせよ慣れるのでなんとかなる、ということ。慣れてくると最初のスピード感が恋しくて、何度も新しいことに挑戦したくなる人もいる (笑)

まとめると、ぜひ学生のみなさん、社会人のみなさん、海外に行ってみたいと思っている人は、不安に思うことがあっても、チャンスがあったら挑戦してもらいたいものである。