学術論文の価値と新しい情報処理学会

今月の情報処理学会誌の巻頭言、中島秀之さんの「新しい編集長として思っていること」がおもしろい。こういう文体、高校生のころの学級新聞を思い出す(笑) ←自分的な誉め言葉

一つのトピックとして学術界と実務界の両方をターゲットとした学会作りの一環として、実務界向けのジャーナルを創設したことが書いてあるが、そもそも実務界の人がジャーナルを書く動機があまりないのだとすると、なんかこの方向は中途半端な気がする。自分自身あまり実務界の人ではないのでなんとも言えないのではあるが、ジャーナルが出ることよりはカンファレンスとかシンポジウムで懇親会みたいな感じで人と会ったり、もしくは有用なセミナーが聞けたりするほうが嬉しいんじゃないかなぁ。

そういう意味では去年の WebDB Forum でポスターセッションのときいろんな立場の人が来ていたのはおもしろかった。実務界の人は学術界の人が思う以上に論文は読んでいるし、学術界の人が実装する以上に(論文に書いてあるアルゴリズムを)コーディングしているし、情報収集源として学術界の論文はそれなりに価値があるのだと思う。

ただ、学術界の人が、国際会議のレベルがどうだとか、査読付きの論文誌はいいが査読なしの研究会は意味ないと思ったりするような論文の区別はどうでもよくて、簡単に実装できて速度も速くて効率もいい、みたいなそういうところがしっかりしているほうがいいだろうし、そういう観点で論文がランクされているなら嬉しいのかなと思うのだが、そうはなっていない。研究者は「査読つきと査読なしと一緒にされるなんて言語道断」「日本語のジャーナルは国際会議の論文より1年以上遅れるから最新ではない」みたいに思うかもしれないが、評価尺度が違う(研究では新規性が重視される)ので査読にそこまでメリットがないということと、実務では必ずしも最新の理論を使う必要もない(逆に数年遅れて定評が定まったくらいのアルゴリズムのほうが去年出たばかりのアルゴリズムよりよい)ということと考えると、ジャーナルを出すというのよりもうちょっと違うやり方があるのではなかろうか、という気がする。(もっとも、学術界が得意なのはジャーナルを発行することなので、仕方ないとは思うが)

逆に、学術界の人が実務界の人からなにか得る気があまりないのが問題かなー 卑近な例だけど、お金を得る、というのも重要なファクターだし(いまは国のお金がだいぶあるからそこまで問題ない?)、理論の応用先を考えて研究するのも大事。研究するには新規性と重要性が大事なのだが、研究だけを見ていても新規性の部分しか判別できないので、世の中で重要な問題である、という視点はどうやったって外に出ないと分からない。世の中で重要とされる問題だけやればよい、と言いたいわけではないが、重要かどうか考えずにネタ的な研究ばかりやっていてもなにも積み上がるものがないし、外を見つつ内側をがんばる、という感じが理想かな?

日本酒を愛でる会第3回目か4回目。@Wildkatzeくんが長崎で買ってきたお酒と、matuyosi さんが新潟で買ってきた酒を肴に飲む。kmurakami さん持参のお酒がいちばんおいしい。あー、おいしい日本酒は飲み過ぎてしまうのが欠点……。途中から松本先生も加わり(松本先生はお酒は飲まない人だが)、なぜ情報系に進学したかとか、海外生活の笑い話を聞いたり、留学中はあまり成果を出そうとしないで毎週末遊びに行くくらいがちょうどいい、という話を聞いたりとか、いやはや、そういう話を聞いていると海外にしばらく行きたくなりますな。