理想の歴史書の条件

今日は突然勉強会の代打を頼まれたのでちょっと準備が足りていなかったが、なんとか……。
しばらく前に読んだ本だが、「オランダ風説書」

オランダ風説書―「鎖国」日本に語られた「世界」 (中公新書)

オランダ風説書―「鎖国」日本に語られた「世界」 (中公新書)

はおもしろかった。小学校の社会科では「日本は鎖国していた」なんて習うわけだが、実際のところ

を経由して対外的な交渉を続けていたので、全く海外から孤立していたわけではなく、幕府による管理下のもとでの国交をしていた制限外交体制であることは広く知られている(いまは中学校の歴史の教科書でも「鎖国」と書かれていないかも?)のだが、この本はそのうちオランダに焦点を当てて、いかにオランダと日本が出島を通じて交流していたか、というのを「オランダ風説書」というオランダ人の文書を中心に展開する。

おもしろい部分は、オランダが唯一の外交チャネルだった時代はオランダは自国に都合の悪いことを隠して(もしくは嘘をついて)伝えていられたが、別ルートで真実が伝えられる場合は隠し立てできないので全部言うしかないとか、通訳するときに幕府に伝えたくないことは日本語にするときに削除して伝えられなくするとか、いろんな情報戦があるところ。オランダ人はリベラルで、ポルトガル人やイギリス人と違ってキリスト教を布教しようという気もさらさらなかったので、幕府はヨーロッパからの情報はオランダ人に限った。従って、オランダと(カトリック国家の)スペインが休戦したという情報だけでもオランダに取っては隠さないといけない事項で、必死に隠そうとしていた(嘘につぐ嘘で塗り固める)のも歴史の妙である。

そういえば中1か中2のとき古文の時間で「日葡辞書」を使って

万治絵入本 伊曾保物語 (岩波文庫)

万治絵入本 伊曾保物語 (岩波文庫)

を読んだのを思い出した。この「伊曽保物語」は「イソップ物語」の日本語への翻訳なのであるが、授業で使ったのはポルトガル式のローマ字版で、これがおもしろいのは、当時日本で話されていた発音を当時のポルトガル語の音で音訳しているローマ字なので、16世紀当時の日本語がどのように発音されていたのかが推測できるところである。(授業でも、できるだけ当時の発音に近い発音で音読した)

たとえば現代日本語では「母 ハハ」という単語は当時「母 ファファ」と呼ばれていたことが分かる。これ、16世紀に書かれた別の本でも「母には二度会ひたれど父には一度も会はず」というなぞなぞがあり、答えは「唇」なのだが、「ハハ」と現代のような発音だと唇は合わないのに、英語の f のような「ファファ」だと2回合うために成立するなぞなぞなのである。(ちなみにもっと昔は「パパ」のように発音されていたそうで、日本語ではかつて「母」を表す単語が現在のヨーロッパ言語では「父」を表す単語だというのは興味深いことである)

今考えてもあの中高は好き勝手教えていたなぁと思うのだが、意外にそういう内容のほうが子どもは強烈に記憶しているのかもしれない。中間試験も期末試験もレポートもなにもないのに成績がついていた授業もあったように思うし……。でもそういうのがよかったんだなと最近思ったりする。時代の流れには逆行しているかもしれないが(笑)

冒頭に紹介した新書のあとがきで、中公新書の「科挙

科挙―中国の試験地獄 (中公新書 (15))

科挙―中国の試験地獄 (中公新書 (15))

が歴史書かくあるべき、を体現していたので、それに近づけるように書いた、と述べられていたが、自分もそれには納得。「科挙」はご存知の人も多いとは思うが中国の官僚登用システムのことで、超難関の試験で有名なのであるが、受かるために何浪もしたり、カンニングするためにびっしり下着にカンニングペーパーを書いたり、あらゆる試験に見られる出来事は科挙に凝縮されている(笑) 

日本では中国から取り入れなかったのは宦官と科挙(平安期に一時導入したが廃れた)と言われているが、近代になって導入した高等文官試験(現在の国家公務員試験I種)は科挙を参考にしたと言われているし、わざわざ復活させなくても、と思ったりもする。科挙に限らず、試験の点数が取れるというのと仕事ができるか、人格的に優れているかどうかは別である。

知らない人のために補足すると、宮崎市定は中国史の大家であり、文章も刺激的でおもしろく、自分などは中高生のころにはまって彼の文庫と新書で出ている本はほぼ全部読んだ。中学生のころ中国の研究をしたいと思っていたのも、彼の影響によるところが大きい。どの本もおもしろい(古いのはあまり文章がこなれていないが)のだが、一冊挙げるとすると

雍正帝―中国の独裁君主 (中公文庫)

雍正帝―中国の独裁君主 (中公文庫)

なんかは「中国の歴史の本なのになんでこんなにおもしろいんだ!」と一気に読めると思う。Amazon の書評もすばらしく、ちょっと引用すると

清朝五代目皇帝。
この人、かなり変な皇帝。
帝位に付いてすぐに家臣にカマシた一言。
「テメーら、俺(朕)をやわな皇帝だと思ってかかると大間違いだからな。舐めてかかるなよ!!」
無能なキャリア官僚を排除し、ノンキャリの優秀な人材を抜擢した。
国中の官史に定期的に(というか頻繁に)レポートを提出させ

全てに目を通し、朱筆で添削、意見を書いて返す。
それが凄い。
間抜けなレポートには、罵詈雑言。
馬鹿だ、詐欺師だ古狸だ・・とおっかない。
所謂、赤ペンおじさん。
あろうことかそのレポートを、後年本にして出版してしまった。
「俺(朕)が死んだ後にどんなに取り繕ったって、お前ら官僚がどんなに阿呆か証拠残したるわい・・。」

で、この本今もキチッと残っている。

国庫から借金をして、返そうとしない貴族に対する取立ては凄まじく、身包み剥いでまで取り立てた。
そんなやり方で、父の康熙帝が残した莫大な財政赤字を、
僅か13年の在位中に、大幅な黒字に転換して、息子の乾隆帝に引き継いだ。
こんな、リーダー今いたらねぇ・・。

内容伝わるだろうか(笑) # 文体はこういう文体じゃありませんよ(苦笑)

なんかこう、宮崎市定の書く文章は、歴史の話なのにキャラが立っているというか、小説のようなノンフィクション(いや、歴史書だからノンフィクションか)のような、自分が「確かにいるいる、こういう人いるよねー」と、2000年前の出来事なのに、まるで現代の話を見ているような錯覚をするくらい、筆力がすごいのである。

最後になるが、確か宮崎市定全集の月報(全集に毎巻よくついてくる数ページの折り込み冊子)で、宮崎市定の教え子が書いたエピソードを思い出した。

ある学生が、当時(たぶん)京大教授だった宮崎市定のところを訪ねたどうしても研究がしたい、研究が好きだ、大学院に行きたい、ということで、宮崎のところに相談に来たのだ。宮崎は彼の言う話をじっと聞いているのだが、学生が話し終わるとまず質問したのは「きみの家は裕福かね?」と。宮崎の言うには、大学院に進んで研究するというのは穀潰しであり、仕事が見つかる保証もなし、金銭的に困ってアルバイトなどしていてはそのうち金策に困り、全くいい研究もできないので、大学院に行くなら家が裕福でなければならない、家が裕福で両親が許してくれるのでなければ大学院進学は諦めなさい、と学生に説いたという。

その後学生がどうしたのか書いてあったはずなのに覚えていないのだが、将来大学院に行って教員になるのもいいかなと考えていた(当時高2か高3)自分は、それを読んで「大学院は恐ろしいところだ、うちは裕福ではないし、研究者にはなるのを止めよう」と考え直したことを覚えている。今考えると、理系の大学院は必ずしもそうではないのかも、と思うのだが、本をいっぱい読んで夢膨らませていた小町少年の夢を打ち砕くには十分であった(笑) あれから10年以上経つが、いま読んだらどう思うか、また読んでみたいかも……