楽な道とけものみち

休みの日ってついつい起きる時間を遅くしてしまいがちだが、いつもの時間通り起きて寝る時間を早くした方がいいんでは? と思った。

しばらく前に読んだ気がするのだが紹介していなかった本を紹介してみたり。「イチロー・インタヴューズ」

イチロー・インタヴューズ ((文春新書))

イチロー・インタヴューズ ((文春新書))

Numberというスポーツ雑誌などに収録されていたイチローのインタピューの総集編なのだが、かなりの分量もあるし、時系列に並んでいるので思考の変遷が分かっておもしろい。

何個かおもしろいと思った話を思い出して抜き書きすると、メジャーに行けるかどうか分からなかったとき、行ったら英語が必要だろうなと思って英語の勉強を始めたそうだが、いざメジャーでプレーできることが決まったら、英語なんかより素振りを1本でも多くしたくなった、と。海外で活躍できる人って確かにそういうところがあって、英語はあとからでもなんとかなるが、実力は行ってからではどうしようもないので、行きたいときなにが大事かと言われたら実力であろう。

先日M1の人から「海外のインターンシップに興味あるんですけど」と言われたのだが、就職希望、かつこの夏に行きたいそうで、申し訳ないがそれは無理、とお伝えした。日本と違いたとえばアメリカのインターンシップは10-12週間が通例であり、夏の授業のない1ヶ月だけやりたい、なんてのはまずない。そして、海外から来る場合はビザの用意も必要で、夏に行きたいなら応募するのはその年の1月(遅くとも2月)であり、4月にはもう応募は締め切っているのである。また、恐らく海外のインターンシップで行きやすいのは研究者向けのインターンシップであるが、これは PhD の学生向け、つまり博士後期課程の人向けで、修士の人でも「自分は確実に博士に行く」という状態ならまだしも、(日本の企業に)就職することが確実な場合に受け入れてもらえるものではない。「自分は行きたい」という気持ちは大事だが、相手から見て自分が必要とされているかどうか、ということも意識しなければならないのである。

そこでひとまず行きたいなら今年の夏は日本の企業にインターンシップに行くか、もしくは国際プログラミングコンテストの入賞経験やオープンソースソフトウェアの開発経験がなかったりするなら、未踏(未踏ユース)や Google Summer of Code などのソフトウェア開発系のプロジェクトに参加してみては、とお伝えしたのだが、あまり要領を得ていないようであった。千里の道も一歩から、いきなり一足飛びに先に行こうとしても難しいと思うのだけどなぁ。英語で履歴書を書いてみると分かるのだが、国際会議に論文でも通していないかぎり、普通の学生だとあまりに書くことが少なくて、書いている段階から「これ自分は間違いなく落ちるだろう」と気がつくと思うのだが……。だから、行きたいと思ったら下準備が必要で、それは英語の能力を上げることではなく、研究力なり開発力なりの実力を上げるしかなく、そこに近道はないのである。

それとは別件だが、(自分もそうだろうが)若者は楽な道を通りたがる傾向にある。できるだけ「ヤバい」ところには行きたくないとか、「ブラック企業」には行きたくないとか。聖書に

狭き門より、入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこから入っていくものが多い。

という言葉があるのだが、近道や苦労しなくて済む道というのは、基本的に滅びに通じている道であり、若いうちは苦労したほうがいいと思うのだが。アメリカに留学したらお金を稼ぐべきという記事でも、

私がW大M校にいた頃、TAもRAもInstructorもやったが
どれもかなりの時間をとられ、この時間を全て勉強や研究に
使うことができたらどんなにいいだろう、と何度も思った。
もしかして、家族がいなくて経済的に余裕があれば、
いくつかの仕事を断ったかもしれない。
しかし今となって思うことは、そうしたバイトのような
仕事でも全て経験となって将来に活かされているということだ。

(中略)

しかし、もしあなたが経済的に恵まれているとすれば
時間や環境をお金で買えるというメリットがある反面
お金では買えない貴重なものもあるということに注意すべきだ。

とあり、自分も大学院に入ってからずっとTAもRA(共同研究)も非常勤講師もやったが、どれもいま活かされていると感じる(リンク先のブログ記事に、そういう経験をしなかった場合どうなるかが書いてある)。先日学会でお会いした先生と飲んでいるとき、「最近の学生はすいすいと問題を回避しているからよくない。もっと若いうちから苦しんでおかないとだめだ。大きくなってから苦しむのは手遅れだ」とおっしゃっていて、確かになぁ、と思ったものである(もちろん、その先生も「自分たちの世代とは違い、きみらは本当にスマートだからそういう苦労がなくてもいいのかもしれないけど」と補足されていた)。

もう一つ思い出したのは、渡米して一緒にプレーするまでメジャーの選手はすごい人たちばかりだと思っていたが、来てみたら本当にすごい選手は一握りで、全く手の届かない人たちばかりではない、ということが分かったそうだ。しかし、むしろ戦慄を覚えたのはマイナーリーグの若い選手たちで、メジャーリーグに上がるために必死に努力している彼らを見ると、次追い抜かれるのは彼らだろう、と思ってものすごく危機感を感じた、という話。

大学にいてもこれは同じで、海外でものすごい量の論文書いている人も確かにたくさんいるのだが、話してみるとみんな気さくないい人たちばかりだし、そこまで飛び抜けてすごい、という人がたくさんいるわけではない。恐らくコンスタントに論文を出せるのは、ヤンキースプレーオフになってから容易に負けてくれないのと同じで、「正念場の勝ち方を知っている」から勝負所で容易に崩れずいつも通りの力が出せるからであり、日本でも普段通りの力を出せばすごいのに、と思う人は非常に多い。そういう人がもっと力を発揮できるようになるようにサポートしたいと思うし、自分も「うかうかしてられないな」と思うのは、やはり若い世代の学生たちと話したあとで、これは簡単に追い抜かれる(そもそもそんなにリードもしていないし)から、今のうちにもっと差を付けておこう(笑)と思ったりするのであった。

最後に思い出したのは、イチローに「勝てないマリナーズじゃなくてもっと優勝が狙えるチームに行くべきだ」と「忠告」してくれる人がよくいるらしく、彼は「何年もかかってシアトルで築き上げた関係や環境は、すぐ他のところに行って簡単に作り直せるものではない」と動かない意思を明らかにしていたそうなのだが、そう忠告してくれていた友人も、初めてシアトルにイチローを訪ねてきたあと「確かにきみの言うとおりだ。きみはシアトルにいなさい」と言うようになったと。

自分に関してもこれは同じで、奈良先端大じゃなく他のところに行くのかと思った、行ってほしい、と言ってもらえることはあるのだが、何年もかけて奈良のいいところ(たくさんあるが)も悪いところも(あまりないが)分かってきて、もっとポスドク大量にいるとかお金じゃぶじゃぶ使えるとか、もしくはすごい研究者・エンジニアの人たちがたくさんいるところも刺激になっていいとは思うのだが、奈良は奈良でいいな、と思うのである。(自分の性格を知っていて、奈良に来てくれた人は分かるかもしれないけど) 西洋と東洋なら東洋、関東と関西なら関西、ヨーロッパとアメリカならアメリカ、ニューヨークとシアトルならシアトル、ロサンゼルスとサンフランシスコならサンフランシスコ、メルボルンシドニーならシドニー、そんな感じ。