自分のマネジメントと後の世代のロールモデル

自分を成長させるための武者修行について前のエントリで書いたが、新幹線の移動時間があったので

肉体マネジメント (幻冬舎新書)

肉体マネジメント (幻冬舎新書)

を読む。朝原は北京五輪の100mリレーで銅メダルを獲得したアンカー。三男が陸上に興味あり、陸上選手が出る回の情熱大陸を一緒に見たりなどしていて、朝原のことも何回か取り上げられていて知っていたので手に取ったのであった。

第1章は北京五輪の自戦記になるが、これは文字で読むとあまりおもしろくない。北京五輪周辺での朝原選手の特番を見たことがあるのだが、それには全然太刀打ちできない。もしかしたら編集者がこれを入れろと言ったのかもしれないが……

逆に第2章以降がおもしろい。なにをしたらよかったか、というだけではなく、なにをしたのは失敗だったか、ということが赤裸々に書いてある。特に朝原は自分の体を実験台にして、あえて筋力を減らしてバランスを整えた方がタイムが伸びるのではないか、とか、体幹の筋力を鍛えるにはどういう感覚でトレーニングしたらいいか、などということを、仮説を立てて検証しているので、とてもおもしろい。

おもしろかったトピックをいくつか紹介。

  • 大学卒業後の就職先はドイツ留学を念頭に置いて、留学させてくれるところを選んだ(結局5年間ドイツに陸上留学した)
  • 留学先をドイツからアメリカに変えたが、それまでのトレーニングはそれまでのトレーニングとして、世界レベルの選手を輩出しているコーチの言うことはどこかに一理あると思い、(一応成功していたドイツでの練習方法はとりあえず忘れて)とにかく最初はそのやり方に従った
  • まぐれで100mを9秒台で走れても実力が伴うとはかぎらないので、タイムよりもファイナリスト(決勝戦)に残ることにこだわった
  • 年齢に応じて体の筋力や疲労の蓄積具合は変わるので、年取ったら年取ったなりの練習の仕方・走り方がある
  • 中学高校時代は走り幅跳びをしていたが、一つの高校で一人の先生(陸上部顧問)が必ずしも自分の専門ではない競技まで全部指導するのではなく、同じ地区にある複数の学校で合同練習をして、それぞれの先生が自分の専門だけ教えてくれていた
  • 自分がうまく走れた感覚を思い出すのが大事。まぐれで速く走れても続かない人は、たまたま速く走れるスイッチが入ってしまったが、どうしたらそのスイッチを入れられるか追求しなかった人。速く走る「再現性」を追求するためには、メモを取ってどういう感覚のときどう走れたかを記録して、自分で調整していくこと
  • 高校まですごくても大学に入ってから記録も出せず引退してしまう選手が日本には多く、残念なことだが、高校まででがんばらないと練習環境が整った大学に進学できないので、ある程度は仕方ない。
  • ただ、遅くとも大学1-3年のときにはある程度は伸びておかないとダメで、ここを逃すと日本代表レベルには成長できなくなる。日本代表レベルになれないと世界を目指すモチベーションを保っておけないし、就職活動をするにしても3年次までの実績がないと卒業後にいい環境で練習できる就職先が見つからないので、事実上世界を目指すのは不可能
  • 2005年くらい、市民ランナーで趣味として走って楽しければいいかと悩んだ時期があったが、結局世界レベルで戦わないとそもそも走っても楽しくないことに気づき、引退を思いとどまった
  • 人生を100mにたとえると、引退してもまだ40m。競技を終えてからの人生のほうが長いし、これから新しい人生を始めるとして、指導者の道を歩むのか、サラリーマン(大阪ガスの営業)として何かをするのか決め手はいないが、陸上選手を引退したあとも「陸上選手にとって憧れの存在であり続けたい」

陸上というところを研究に置き換えても(細部の違いはあるが)同じような話かもなぁ、と思って、いろいろと考えさせられることがあった。自分もうまく研究ができるスイッチがあるのは知っていて、入れ方もなんとなく分かってきたので、いろいろ試しているところである。成功するか失敗するかは乞うご期待。やっぱり世界レベルで戦わないと楽しくない、というのは(世界レベルで戦うのは厳しいのだが)同感。がんばります〜