科学者としてこの先生きのこる方法

ポスドク生活について知っておこうかと思い、

科学者として生き残る方法

科学者として生き残る方法

を読んでみる。こんなページ数(353p)は必要ない内容だと思うが、そこそこいい本だと思う。アメリカに(大学院生として、もしくは)ポスドクに行きたい場合とカナダに行きたい場合と、あとヨーロッパに行きたい場合、それぞれプレゼンテーションや履歴書の書き方もかなり違うそうなのだが、そういう違いをこれまで意識したことはなかったので、参考になった。たとえば、北米向けだと自分の独自の仕事をすることをアピールし、かつ自分が優秀であることをこれでもかというくらい言わないといけないようだが、ヨーロッパはもっと慎み深いので、既存のプロジェクトの中で自分のこれまでの経験がどう生かせるか、それで自分がどういう方向に行きたいか、みたいなことを主張し、履歴書もトーンを抑えて書かないといけない、そうである。

難点を言うと、著者の2人が物理畑出身なので、それ以外の分野についても注釈を入れてはいるのだが、アドバイスが当てはまらない分野もある。たとえば論文は国際会議で発表するとジャーナルに載せられないのでプロシーディングに載せるべきではない、というアドバイスがあるが、これは物理や化学の分野ではそうだろうが、情報系ではあまりそんなことはなく、国際会議のプロシーディングがジャーナルと同じくらいの重要性を持つので、むしろアドバイスは逆である(とはいえ情報系でも機械学習の分野で聞いた話では、国際会議で発表するとジャーナルに出せなくなるところもあるらしいので、分野の中でもいろいろあるようだが)。そのあたりは研究室のスタッフや先輩から聞いた情報のほうを信じた方がいいと思う。

なるほどと思ったのは博士論文の執筆に関するアドバイスのところで、発表した国際会議の論文をつぎはぎして短いつなぎの文章だけ書くような「博士論文」は「怠惰な人」が選ぶものである、という下りである(pp.276-287)。確かにこれまで見て勉強になった修士論文・博士論文は、外部に公開された論文の内容だけではなくて、その分野の概説が入っていて、細かい実験設定が書いてあって、どういう気持ちでそういうことをしているのかといったことが詳しく述べられていたり、読んでいて一冊の研究の手引きを読んでいるような体験ができるものであった(論文をつないだだけのものではこうはならないだろう)。そういうものが書けたらよいのだが……(かなりエネルギー注ぎ込まないとできないだろうなぁ)

博士論文は英語で書け、というアドバイスも当然ながらあるが、なんでこういうことが書いてあるかというと

言語の問題に関しては、私の祖父も物理学者だったのだが、祖父は、イタリアで、一九三〇〜一九六四年ごろに仕事をしていた。この時期には、科学の共通言語がまだ定まっておらず、祖父は、外国の雑誌に発表された論文を読むために、英語、フランス語、ドイツ語(そして、ある程度のロシア語までも)勉強せねばならなかったという。当時、アインシュタインハイゼンベルクシュレディンガーはドイツ語で論文を発表し、ド・ブロイはフランス語で、フェルミはイタリア語で論文を発表するといった具合だった。祖父が語学習得に大枚の時間を費やし、その分だけ科学研究が遅れたことは想像にかたくない。というわけで、私が、自然科学や工学に共通言語が存在することを多大な進歩だと信じていることに、驚かないでもらいたい。

(p.282) というわけで、科学や工学の共通言語が英語になったのはつい最近(まだ100年も経っていない!)なのだが、とりあえず科学者・エンジニアなら読める英語で書いておかないと、英語で書いてすら世界で数十人程度しか潜在的な読者がいない論文であっても、たとえば日本語で書いてしまったらそれが数人になってしまうので、大きな機会の損失である、というわけだ。このあたりの話は先月も日本語が工学の言語になろうとしていた時期で書いたので繰り返さないが、今はみんなが知りたい情報はたいてい英語で流通しているので、英語で読み書きしたほうがいいんじゃないの?ということである。

具体的な(工学分野での)研究についてのアドバイスは、taroleo さんのブログが参考になる(こういう内容が web で読めるのはすばらしい)。たとえば

は大学院生必読といってもよいくらいである(下の2つはちょっと違うけど)。

あと大学院の留学に関してはこれより

アメリカの大学院で成功する方法―留学準備から就職まで (中公新書)

アメリカの大学院で成功する方法―留学準備から就職まで (中公新書)

のほうがもっといろいろなトピックが書いてあるのでこちらがお薦め。こちらは文系の留学なので、理系の留学と比べるとまた全然違うし、研究に関するアドバイスは半分以上当てはまらないと思うが……。