披露宴

ryu-i さんの結婚式に出た記憶では、披露宴の最中くらいしか各人と写真撮ったりする時間あまりなかったのだが、披露宴前みなさんが控え室でウェルカムドリンクなど飲んで休憩しているところに案内してもらって、自由に写真撮ってもらってください、ということだったので、ちょっとびっくり。主に新婦側の友人が次から次に来てぱしゃぱしゃ写真を撮る。披露宴で初めて話せたりするほうが新郎新婦のありがたみがあるのかもしれないが、ゆっくり新郎新婦がご飯食べたりするためには、このタイミングでみんなと会えるのはとてもよかった。妻も友人と会うまでは緊張していたのだが、みんなの顔が見れて安心していたようである。特に看護学校時代の友人には「あたしでも結婚できたぜ、イェーイ」とか報告(?)して「あ、いつものハセちんだ」と言われたりしていて、聞いていてもおもしろい(笑)

ウェルカムスピーチを読み上げている新郎

とはいえ挙式と披露宴の間は30分くらいしか開いていないので、すぐ披露宴に移動。列席者の方々に先に入ってもらって新郎新婦揃って入場。司会者はプロの人に頼んだのでいろいろよろしくやってもらっていて助かる。どこを歩くかとかどこで頭下げるかとかも全部当日キャプテンという人と介添人の人が後ろにいて教えてくれるので、言われるとおりにするだけ。ryu-i さんの結婚式では ryu-i さんの声最後の最後の挨拶まで聞けなくて、あれ? あれ? と思っていたので、自分は最初にウェルカムスピーチを入れてもらえるよう司会者の人に頼んでいたので、3分くらい話す。何回か話す練習したのだが、挙式とかなんだとかですっかり忘れてしまったので、清書したものを読むのが精一杯。いやー、学会発表でもそこまで緊張しませんよ……。

続いて松本先生のスピーチ。松本先生なに言ってくれるのかと期待していたが「新郎のことをいつも誉めるのはおもしろくないからけなすようなこと言ってみようと思いました」と言われたときには少し冷や冷やしたが、続いて「が、けなすようなことは探してみてもないので、大学院での彼の姿を少し紹介します」と大学院での生活について話してくれる。「小町くんがこんなにやけている姿を見るのは初めてです」という話に始まり(笑)、最後は「研究というのはいつも成功することばかりではなく、失敗したりすることもあるし、結果が分からないことも往々にしてあるのだから、これから壁にぶち当たっても挫けないで続けていってください」というエールであった。言われてみて初めて気がついたのだが、我々は研究者カップルということになるんだろうか? あまり実感が沸かないのだが……。

あと、自分で写真見返しても思うのだが、終始にこやか、というかどう考えてもにやけている。妻曰く「いつもこんな顔してるよ」という話なのだが、やはり大学院ではこんな顔していないのか……(ときどき電話しているときこういう顔していると思うけど)。弟からも「○○さん(妻の名前)といるときはいつも守はえびす顔なんですよ。実家でこんな顔しているの見たことありません」と何度も言われているので、そうか? とこれまで不思議だったが、なんとなく納得。

そして新婦側の指導教官の先生のスピーチ。実は新婦側の職場の上司と(休学中の大学院の)指導教官とどちらにスピーチを頼むかとかいろいろあったのだが、結局妻は仕事を辞めることにしたので、職場の人は2次会だけに呼ぶことにして、指導教官の人がスピーチしてくれることになったのだった。指導教官の人は3月に訪ねて挨拶しておいたのでお会いするのは2回目なのだが、事前に会っていてどういう人かお互いに分かっていたのでそんなに驚くようなことはなく。

その後ウェディングケーキへの入刀。どうも妻の勤務していた大学では(たまたま)東京會舘で式を挙げるとウェディングケーキがサービスされるらしく、生ケーキとトラディショナルケーキと食べ比べてみて、生ケーキだと持ち帰り不可だそうで、料理の量もけっこうあってケーキが出るころには満腹になっているだろうから、2週間くらい持つフルーツケーキベースのものをウェディングケーキにしてもらったのである。

初めての(?)共同作業

ryu-i さんによる乾杯。代わりに元々乾杯を頼む予定だった(新婦の)職場の上司の人が来ないことになり、慌てて挙式2週間前に急遽 ryu-i さんに乾杯の辞を頼んで引き受けてもらったので、いろいろあわただしかったが、お酒も飲んで一安心。本当に突然頼んでどうもすみません。ある意味新郎側の上司なので、夫婦でよかったと胸をなでおろしておりますが……

高砂(たかさご)でスープを飲んでいるところに来る eric-n さん

さてあとはご飯も運ばれてきたのでしばし歓談。写真を撮りに来る人がちらほらいたり、一言二言挨拶に来る人がいたり。もっと写真撮影の人ばかりでご飯食べる余裕もないかなと思っていたのだが、披露宴前にしばらく写真撮影する時間があったせいか、それなりに落ち着いて食べる時間もあった。

とはいえ、しばらくすると新婦はお色直しで退場。今回は自分の父に引かれて退場することになっていたのだが、どうも男4人兄弟の父なせいか、もろにカチコチになっていて、ものすごい速さで歩き出し(そもそもウェディングドレスって歩きにくいから普段より遅くないといけないのに)、周囲から「もっとゆっくり!!」と言う声も耳に入っていないようで、妻もかなり強く「速いです!!」と腕を引いたのだが速度は弱まらず、キャプテンが前に立ちはだかって「止まってください!!」ポーズをしてようやく足を止める。いや、こんな若い女の人に手を触られることはないから緊張したのかもしれないけどね……。代わりに周りは大爆笑で、妻の看護学校時代の友人たちからは「お父さん超かわいい」と評判だったようだが……。

キャプテンに制止されている父(笑)

後日聞いた話だが、退場した後新婦と父の2人で記念撮影をするときもそそくさと立ち去りそうになり、カメラマンさんに「撮影あるのでまだ帰らないでください」と制止されたりとか、「じゃあもう1枚あるのでお願いしまーす」と言われて妻が頭を右に倒す(父も左に倒すとお互い仲よさそうに見える)と父は逆に妻と同じ右側方向に頭を倒して逃げたりしたそうで、これにはカメラマンさんも苦笑いだったらしい(笑) 照れくさいんだろうなあー

さて、新婦が退場してから自分も matsuu さんなどと写真を撮ったりする。今回席次表には「新郎 Gentoo 友人」とか「新郎 IME 先輩」とか書いて、bashi さんと osamu-m くんと khiro くんは「新郎 SICP 友人」と書くかどうか逡巡して結局「新郎大学院友人」にしたのだが、みなさんから「新郎 SICP 友人」にしてくれればよかったのに、と残念がられる。そうか、やはりそうするべきだったのか……(新郎側の友人は大半が「新郎 Gentoo 友人」と書いても分かっていて受けていた気がするが、「新郎 SICP 友人」はどうだろうと思って日和ってしまったのである。無念!)

自分のお色直し退場は母と。今度は双方が照れている気がする……。何人かから「お母さん引きずっているみたいたったよ」と言われたが、どちらかというと母が勝手に変な方向に歩くので、適切な方向に誘導した、という感じか? 確かにこれは照れますな……

お色直し、最初から1回はすることだけ決まっていて、和装にするか洋装でカラードレスみたいのにするか考えていたのだが、うちの母が「和服着たらどう? 一生に一回だし」と妻に勧めたので、元から和服に興味があった妻は和服に着替えることになったのであった(それに対応して自分も着替える予定はなかったのだが、紋付袴に着替えることに)。

袴で入場して新婦を待っているところ

和服は浴衣以外着たことないが、しかもそもそも浴衣も小学生以来着た記憶がないのだが、それなりに恰幅があると似合って見えるらしく(と言っても今回お腹にはバスタオル巻いたけど)、式の後も何人かから「アブさん和服似合っているね」などとお褒めの言葉をいただく。自分でもそうかなと思っていたが、確かに今写真見直したら和服のほうがどっしりしているかも……。これからメタボになったら和服着るようにしようかな(笑)

お母さんと入場する新婦

少し遅れて新婦入場。今度はお母さんに引かれて登場。白無垢とか色打ち掛けとかいろいろあるらしいのだが、華やかなのがいいということで色打ち掛けにしたそうだ。ドレス選びには付き合ったが、和服選びとメイクリハーサルは付き合う時間がなく、あとから写真を見せてもらっていただけで、本物を見るのは初めて。いや、なんか色打ち掛けも似合っていらっしゃる……。

ふたり揃ったところで友人代表スピーチ。トップは我々の出会うきっかけである薬膳カレーをお膳立てした KDDoI さん。新郎新婦共通の友人(先輩)で、ひとりだけ友人代表スピーチを頼むならこの人以外いない、ということで新郎新婦たっての願いを聞き入れてもらった。明日もう一度書くが、ここに登場する「看護学科の M2 の人」というのが将来の妻であった(笑) KDDoI さんはふたりが結婚する報告をしたときも「これから大変なこともあるだろうけど、ハセさんを大事にしてください」とメールくれたし、本当に穏やかでやさしい人である。訥々とスピーチを読んでくれてちょっと感動した。この話がこのあとの2次会につながるとはこの時点ではまだ全然想像だにしなかったが……

2人目は新婦側の看護学校時代から集中治療室勤務まで一緒だった友人。「彼女が『あたし、女子大生になりたい!』と言い出したときはびっくりしました」という話を聞いたときは自分もびっくりしたが、妻からは集中治療室での勤務の話(点滴打って勤務していたとか)や、その合間を縫っての受験勉強の話も聞いていたし、そういう苦労を知っている友人からのスピーチだったので、自分もじーんと来る。

3人目は新郎側の友人ということで、中学高校時代からかれこれ20年近い友人(席次表には「竹馬の友」と書いたが)の F 原に頼む。数日前別件でメールしたら「スピーチにはきみの過去の資料をお持ちします」と書いてあってなんのことか理解できなかったが、スピーチが始まって一瞬でなんのことか分かった……。高校生のころ好きで学級新聞を作っていたのだが、その学級新聞に投稿した記事からの抜粋だった(あとで全文掲載予定)。

わたしたちはこのごろ三角関係よりも三角関数に苦しめられることが多いだろうと思うが、このような日常的な人間関係の基礎にある「好き」「嫌い」という感情がどうなっているのか意識したことがあるだろうか。三角関数は受験のあと二度とお目にかかることはないと思われても三角関係から逃れることは至難の技である。この場を拝借して少々立ち入って考察したい。

という文章から始まるB5で2ページの小論なのだが、自分でも書いたのをてっきり忘れていた。ちなみにこの文章、最後は

ここにおいてその感情は「愛」へと純化する契機を秘めており、かけがえのない一存在としてのともちゃんがわたしの前に現出する。長所も欠点も全ての要素を併呑した存在であるともちゃんをわたしは好きなのだ。……

で終わっているのだが、F 原は最初からそこまで読み上げて、「小町くんは高校生のころから三角関係肯定論者だったようです」「というわけで、○○さん(新婦)どうぞお気をつけください」って、あの、いや、肯定していたわけでは……(汗) おかげであとで妻から「で、ともちゃんって誰?」とにこやかに訊かれてしどろもどろになってしまった(滝汗) (ともちゃんというのは当時片思い中だった女の子)

なんかみなさんこの文章を気に入ってもらえたようで、朗読の間中会場からは大きな笑い声が聞こえていて、2次会でも「『麦のように(駐:上記記事が掲載されていた学級新聞の名前)』のファンなのでまた読ませてください」と新婦側の友人数人から言われたり、F 原もこの文章を持ってくるとはセンスがいい(笑) 自分でもなんでこんなに大真面目にこんな文章書いたのか思い出せないが、このときは大問題だったのであろう。(12年前の文章である)

笑う新郎新婦。いつも新婦はこんな顔で笑っている(笑)

さて、これと言ってスピーチ以外の余興も準備していなかったのだが、あっと言う間にお開きの時間になってしまい(というか友人スピーチ真面目に全部聴いていたので食事食べ切れなかった。ブライダルプランナーさんの話では東京會舘では8割の人が完食するらしいけど)、新婦から家族への手紙の読み上げと花束贈呈。ハレの席で暗い話しないとか、忌み言葉使わないという人もいるだろうけど、事前に内容教えてもらって、これはこのまま読んだほうがいい、と思ったので、そのまま読んでもらう。弟さんもここまでは涙が出そうになるのを何回かこらえたそうだが、ここでこらえきれず男泣きしたそうだ。自分も去年1年、というか去年の秋以降を思い出して泣きそうになったが我慢する。

花束をお互いの両親に贈り合って、父が謝辞を述べて自分も謝辞を述べる。事前に父と内容の打ち合わせをしていなかったので、自分と80%くらい内容が(そして60%くらい文面が)被っていて焦る。いや、親子だから似ているのか……? もともと内容が短くてどうしようもないので、アドリブで多少変えつつ話す。これから式を挙げる人は事前に父になにを話すのか見せてもらったほうがいいような気がする……。

いろいろあったがなんか書くのが疲れてきたし、たぶん読む人はここまでたどり着くまでに力尽きている気がするので、残りは明日以降のエントリに分けて書きます。あしからず。。

今回の写真は全部元松本研同期の kenji-fu くんに撮ってもらいました! (プロのカメラマンさんは挙式から撮っているけど、まだ連絡がない。電子データも全部くれるらしいんだけど) ありがとうございます!!