「女子学生のほうが優秀なんだけどね」は「自分は女子学生を研究者として育てることができません」という意味

午前中、研究ミーティング。意味解析にちゃんと取り組む、というのは、大変ではあるが重要な仕事だと思う。難しいところが多いので、研究のスコープをしっかりと決めないと、泥沼にはまりやすいが……。

昼から第5回奈良先端男女共同参画推進シンポジウムに参加。

最初磯貝先生が NAIST男女共同参画に関するいくつかの数字を挙げられていたのだが、意外と知らずにびっくりする。たとえばここ数年女性教員の採用比率を12%にすることを目標にしてきて、実際は16%だった一方、現在全学合わせても女性の教授は2名 (バイオ1、情報1)、准教授はなんと1名 (バイオ) だそうで、職位が高くなるほど女性の割合が減るということを如実に表しているとか。最近女性教員の採用比率が上がったとはいえ、NAIST は日本一若手研究者が多い大学なので、流動性の高い助教や研究員に女性が多くなった、ということだろう。ちなみに、助教の女性比率は情報・バイオ・物質それぞれ9%・27%・17%だそうだ。意外と情報も増えてきた? 学生の女性比率は修士、博士の情報、バイオ、物質でそれぞれ11%・32%・16%、14%・34%・30%となるそうで、やはり学生が増えないと教員も増えないのだろう。

最初の招待講演の方は Santa Clara University で情報の教授をされている方だが、Santa Clara University では学生の25%が女性で、教員の実に37.5%が女性だそうだ。大学構内に託児所があったりするので、働き続けやすいという話ではあるが、学生の女性比率より教員の女性比率のほうが高い、というのは驚きである。あとで質疑のときこの話になったが、どうも Santa Clara University はちょうどシリコンバレーStanford と UC Berkeley の間に位置し、情報系の研究・教育をしたい大学教員にとっては、研究超重視の Stanford と UC Berkeley が近くにあって (実際サバティカルのとき Stanford で客員研究員をされたりしたそうだ)、IT 企業も多数存在するこの場所で教員ができるというだけで、地の利がとても大きく、女性にとって働きやすいからではないか、とのことで、物理的に場所がよいというのはなるほどなと思った。

NAIST も研究・教育レベルは非常に高いと思うのだが、いかんせん場所が夫婦共働きするにはあまりよろしくなく、近くにたくさん企業があるわけでもないし (日本の他の地域と比べると、企業の研究所は多数存在するが)、大学もほとんどないし (工学系で言うと同志社・奈良女くらい)、単体の大学として見るとよい大学だと思うのだが、家族で働くとなると厳しいものがある。実際、自分も夫婦で働こうと思ってみたのだが、NAIST から最も近い国公立大学に妻の就職先が見つかったのに、ちょうど中点の桃山御陵前伏見桃山に住んでいても、妻は片道40-50分、自分は片道50-1時間10分かかるというありさまで、非常に厳しいものがあった。東京では通勤に1時間以上かかる人は珍しくないので、これでも恵まれているほうだろうとは思うが、職場を探す・変えることに多大な制約がかかるというのは正直しんどいものがあるし、夫婦で働きにくいというのは仕方ないように思う (職員宿舎に住んでいたときも、NAIST の教員の奥さんは主婦の人が多かったが、NAIST から遠くまで通勤するのは大変だし……)。

2番目の招待講演の方は東北大学で教授をされている方。後のパネルディスカッションで「わたしが学生のころは『女子学生は教員になるために男性の2倍業績がないといけない』と言われたので、自分がいつ教授になりたいかから必要な業績を逆算して、毎年自分が著者に入っている論文を2本書くことを心に決めてやってきた」というお話をされていて、それをとあるとき別の年上の女性研究者に言ったら「あらあたしのころは3倍って言われたわよ」それを聞いていた別の妙齢の女性研究者は「そうなの、わたしは10倍って言われたけど」という笑い話があるそうで、確かに男女で差別はあるかもしれないが、時代は着実に変わっている、という話が印象深かった。あと、「女子学生のほうが優秀なんだけどね」と言う教員は少なくないが、そう言う研究室で女子学生が研究を続けないのは、「自分は女子学生を研究者としてちゃんと育てることができません」と白状しているのと同じだ、という指摘も言われて納得。情報系はなぜかそもそも学部の段階で女子学生が少ないのだが、これは理由はどうであれ「自分は女子学生が情報系に興味を持つようにしむけることとができません」ということなのかな……

3番目の招待講演の方はパナソニックの R&D 室長をされている方だが、学生のころはウェットな化学系の実験をしていたが、きついしつらいしお気に入りのブーツは試薬で穴が空くし、就職するとき情報系に鞍替えして幸せになったので、女子学生にもウェットよりドライ、特に情報系はずっと働きやすいので学部のころから情報系をお勧めする、と宣伝してくださっていた (笑) ←聴衆にあまり女子学生はいなかったようだが…… エピソード的な話をたくさんしてくださって、入社当初は85%の社員が男性で、若かりし自分は箸が転んでもおかしい年齢で、ケタケタ笑っていたら「会社で笑うのはけしからん」と上司から注意されたりだとか (男性社員はパナソニックではムッツリ仕事をするらしい)、総合職で男性新入社員と入社しているのに朝の掃除当番とお茶汲みは女性社員の自分だけやらされるとか、なぜか同じ男性の総合職の社員と比べて与えられる書棚の幅が違い、狭いスペースしか与えてくれなかったとか、いま聞くと「そんな時代があったんだ」と思わせるものがあるが、そんなに昔の話でもないのである。

当時は結婚すると寿退社するのが普通だったそうだが、「新婦は結婚しても仕事を辞めないようですが」と結婚式のスピーチで上司に言われても働き続けたそうで (男性社員の結婚式のスピーチで「新郎は結婚しても仕事を辞めないそうですが」とは普通言わないだろうが)、職場がそういう雰囲気だったのか、会社がそうなのか、時代がそうなのか分からないが、いまはだいぶ変わったなぁ。前 ken-y くんが結婚式の新郎挨拶で、奥さんの職場の方々に「妻はとても素敵な職場の方々に囲まれており、感謝しています。今後も妻をずっと働かせてやってください」と涙を流しつつお願いしていたのを思い出した。ああいう場であんなふうに言えるのはすばらしいなと感動したのである。

さて、結婚を乗り切ったはいいものの、子どもを産むようになると仕事を離れないといけないようになったそうだが、1人目のお子さんを産んで2ヶ月で復帰したら仕事が手に着かず、1年くらいして2人目を妊娠したら「仕事が忙しくなったら子どもを作るんだね」と言われ、2人目のお子さんも産んで2ヶ月で復帰したら、明らかに仕事の量を減らされ、職場で役に立たない、必要とされていない、と追い詰められ、打ちのめされたという話。負荷を減らしてくれるのは配慮しているとは思うのだが、減らし過ぎも (たとえば窓際族のように、明らかに閑職に追いやるような) 懲罰的な意味合いを含んでしまうようである。疲れすぎていて、夜中に子どもが泣いていても起きられず、気づいていても無視してしまって自己嫌悪に陥るとか、夜中に泣く子どもが昼間に笑っていてもその笑顔が怖いと思ってしまうとか、聞いていても心が苦しくなってくる。

結局「自分はこれ以上できない」ということを受け入れて、仕事を進める上でなにかうまく行かなくてもお互い「相手には何かの事情があるのだな」と思えるようになってからなんとか仕事と向き合えるようになってそうで、そうこういているうちに会社の方針が変わって、女性を直接的な業務の成果で判断するのではなく、女性の評価に下駄をはかせるのでもなく、社内・社会に多様な視点があることに価値があるのであって、女性がいてくれることこそが価値がある、という方向性になったので、それから少しずつ組織が変わっていった、ということである。

最後女性に向けたメッセージで、仕事がつらくても大変でも、辞めてはいけない、とにかく職場に行って、席に坐って何時間もぼーっとしているだけでもいいから、とにかく職場に行きなさい、行ってみたら、人間何もしないでいることはできず、勝手に動いてしまうものだから、というアドバイスと、子育てのときは自分のお給料を全部延長保育や家事ヘルパーに使ってしまってもいいから、罪悪感を感じずとにかく周りにヘルプを出しなさい、いまはなんでも手伝ってくれるサービスがあるので、何を利用してもいいから、仕事を続けなさい、とおっしゃっていて、全くうちの母と言うことが同じなので至極納得 (笑) 高校生のころ、自分は男子校だったし付き合っている相手もなにもいなかったのだが、母から繰り返し上記のようなことを聞いていたので、そういう考えが刷り込まれているのである。実際結婚して、そういう時期にもなってきたが、子育てに関して親の支援が得られるかというとあまり当てにできない (弟とも子育ての時期が被るだろうし、もしかしたら兄とも?) ので、主な家計は自分が支えるので妻にはじゃぶじゃぶお金を使って子育てをしてもらいたいと考えている。

お話を聞いていて、NAIST 図書館でちょうど借りていた「お仕事してても子は育つ 働くママの「後ろめたい症候群」」を思い出した。

お仕事してても子は育つ 働くママの「後ろめたい症候群」

お仕事してても子は育つ 働くママの「後ろめたい症候群」

最初は「柴門ふみ監訳」というのと、挿絵を柴門ふみが書いているので手に取ってみたのだが、けっこうおもしろい。これはアメリカの話ではあるのだが、日本も急速にアメリカ化していて、かなり当てはまるところがある。あとがきで「子育てと仕事の両立ができるか。答えは、両立など無理、です。ただ、両立できるかと七転八倒、試行錯誤しているうちに、子どものほうがあっという間に育っていってしまうのです。だから、つらいことがあっても笑い飛ばしたらいいのです」というようなことが書いてあって、なるほどな〜、と思ったり。この本、置いてあったのは男女共同参画コーナーではなかったのだが (購入費がどこから出ていたかによる?)、男女共同参画コーナーにあったほうが手に取ってもらえるような?

休憩を挟んでパネルディスカッション。湊先生のご意見がおもしろい。「実はいまは女性のほうがなんでもできる、自由な世の中なのではないか。男性は、博士号を取っても研究室の主宰者 (Primary Invesitigator, PI と呼ばれる) を目指すことを周囲に強制されるが、女性はそうではない生き方もある。PI から与えられた研究をやるほうが、自分で苦労して研究室を運営するより楽だという人もいるだろうが、男性はそれが許されていない」というお話を最初にされていたが、あまり会の趣旨にそぐわなかったのか、他の方々からはスルーされていた (汗) あと、「現在の大学の教員評価システムは、業績を数で測る傾向が強いが、量が問題になると子育ててブランクが入りやすい女性研究者に不利で、どうしてもできるだけブランクを空けないようにするしかなくなってしまう。これを防ぐ一案として、たとえば業績を数ではなく、いちばん優れた業績の質で測ることにしてはどうか。そうすれば、ブランクがあっても関係なくなる。専門的な用語を使うと、業績をL0ノルムではなくL∞ノルムで測るようにすればいいのではないか」という意見も斬新。今回の講演は同時通訳の方がいらしたのだが、後半はちゃんと通訳できていたのか不安である (汗)

あと最後に湊先生がパネリストの方々に「情報系はインターネットにつながっていれば仕事ができるし、ラボに来なければ研究ができないバイオや物質の研究と違い、仕事をずっと続けたい女性にとっては明らかに情報系のほうが有利な分野だと思うのだが、どうして女子学生からの人気は働きやすさと反比例はするのか」という質問をされていて、これも納得。実際働かれている方々から異口同音に、情報系のほうが女性には働きやすい、というご意見が出たのだが、井上先生の「自分自身情報系なので、他の女子学生がなぜ情報系に来ないのか理解できないが、情報系や物理・数学系は曖昧性が少なく、分かっていることも多いのが自分は好きで、逆にバイオに近づけば近づくほど曖昧性が高く、分からないことだらけで、研究したいとは思わなかった。ただ、他の女子学生は論理的に分かることより分からないことのほうが好きなのではないか」というお話が、個人的にはなるほどなと思う。自分も分からないことが多いほうが楽しく、だからバイオにも興味があるし、情報系でも人間の言語という曖昧性があることこそが本質であるような研究分野を選んでいるのかなと……。

ともあれ、情報系に女性研究者・女子学生を増やそうと思ったら、大学院の段階ではもう手遅れで、学部・大学を決める段階で情報系を選択肢に入れてもらっておかないといけなくて、そうすると高校2年生のときに理系・文系に分かれる前に知っておいてもらう必要があり、結局高校1年生の秋までにアプローチしておく、ってことかなぁ。

シンポジウム終了後、研究室に戻って [twitter:@keiskS] くんの COLING 発表練習。せっかくの発表練習なのだが、参加者が5人。出席者数が非常に低い (その直後のピザパーティのほうが人数が多かった?)。こういうの、博士の学生あるいは博士に進学予定の M1 の人たちは (授業がないなら) ちゃんと出席して、どのようなコメントが出るか聞いておいた方がいいと思うのだけど。結局、博士の学生は国際会議で発表しないと修了できないわけだし、もし博士号を取得したあと研究を続けるのであれば、ずっと英語でスライドなりポスターなりを作り続けないといけない仕事なので、どう作れば・話せばスライドがよくなるかを知っておくことも大事であるし、そのうち自分自身学生や後輩のスライドにコメントを言わないといけなくなる立場になるので、どう直せばよくなるか、ということを知っておくのも重要だと思う。もちろん、修士で就職するつもりの人は、大学院を出たら二度と英語でスライドを作る機会はないかもしれないし、そういう人にまで無理に出た方がいいと言うつもりは全くないのだが……。