青春をかけて将棋をしていたね

今日は午前中家事サービスを頼んだので、子どもたちを連れて近所の公園に。

午後は上の子は学校の友だちと遊ぶと出かけ、下の子が昼寝したので村瀬信也「棋士の勝負哲学」を読む。

将棋に熱中していたのは武蔵の将棋部にいた中高のころで、浪人してからほとんどやらなくなっていたのだが、棋士の話は大学に入ってからもちょくちょく読んでいたので、おもしろかった。

この本を書いた朝日新聞の村瀬記者は武蔵の将棋部の2年後輩で、自分の青春時代の多くを共有しているのだが、2人で学校から帰りながら将来のことなんかも話していて、新聞記者になりたいと話していたのをよく覚えており(浪人はできないので早稲田に行く、という話もしていたような)、その通り新聞記者になって将棋を担当しているというのがすごいなと思う。自分は新聞社には入りたかったが、記者ではなく(夕刊の)デスクになりたかったのを思い出す(あるいは、出版社の編集者)。まあ、そのころからファーストで書きたいのではなく、裏方でファーストで書く人をサポートする仕事をやりたいと思っていた訳で、結局自分も今の仕事は中高のころやりたかったことができていると言えばできているのであるが。

自分は将棋部で現役のころは「東大には死んでも行くまい」と言っていた記憶があるのだが、結局浪人して東大を受けることにしたので、人生分からないものである。結局早稲田も現役のとき落とされたのがトラウマで、浪人時には東大以外は慶応と ICU しか受けていない。ちなみに慶応の入試はボールペンが使えるので、現役時も浪人時も自分はボールペンで受けたのだが、現役時には環境情報学部に落ち、浪人時には文学部に受かった。自分以外でボールペン受験した人に出会ったことがないのだが、なんで慶応はボールペンで受けられるようになっているのだろう。で、現役時には京大の文学部を受けて落ちたのがショックで、浪人時には(後期で)総合人間学部に出願していたのだが、前期で東大(文3)に合格したので受けずじまいである。今考えると、落とされた学部を徹底的に回避していて、なんだか小心者だったなと思う。(でもそういう性格だったので、東大に入学しても将棋部に入る度胸がなかったのである)

2月になると色々大学受験の頃を思い出してセンチメンタルな気持ちになる。あの頃は大学受験が人生で大きな関心ごとであったが、その後の人生を思うとどこの大学行くかなんて正直どうでもよかったと思うし、必要以上に思い悩まなくていいよ、と若者たちに教えてあげたい。(その後3年留年することになる、ということも自分は思っていなかったわけだが、入学時、2年は留年しようかな、と思ってはいた。)