ニューラルを科学史として位置づける

今日はトークがあるのだがまだ資料ができていないので、午前3時に起きて3時間ほど資料作成。

夏季休暇を取得していたが、午前中は少し論文誌の原稿を見たりして過ごす。

午後にスライドの準備を再開して2.5時間ほどして完成。

15時から3時間、東大駒場の科学史・科学哲学研究室にオンラインでお呼ばれして、1時間トーク、1時間質疑応答、そしてそこから1時間は懇親会、という形でお話をする。招いてくださったのは、元同僚である藤川さんであるが、卒論の指導をいただいた岡本先生、それ以外で色々お付き合いがあった廣野先生、そして橋本先生といった学部時代にお世話になった先生方も来ていただいて、15年ぶりに近況報告ができてよかった。

あと、自分の次に科哲のサーバ管理をしていた渡辺くんも(どういう経路でこのトークを知ったのか謎だが)参加して色々質問してくれたり。渡辺くんは(も?)その後機械学習の研究をしているということで、何かの時にふと再会してびっくりしたことがあったが、科学史・科学哲学と機械学習は割と近いところにいる(科学哲学で問題としているものの一部は、機械学習の問題として考えることができる)と思っている。

2005年に科学史・科学哲学を離れて自然言語処理の道に入り、かれこれ16年目であるが、すっかり考え方が工学寄りになっていて(これは大学院時代に何回もインターンシップに行って、現実のデータだとかそこで必要となることだとかに触れたのが大きいと思う)、時々違う視点からのコメントをもらったりすると刺激になる。15年かけて「もっと工学寄りにならなきゃ」と思ってやってきたわけだが、そろそろ「もっと哲学寄りにならなきゃ」と思って戻したくなる時期なのかな、と思ったりした。