「よりもい」が何のアニメか分かる人?

午前中は自然言語処理の授業。

授業で「宇宙よりも遠い場所」の略称が「よりもい」である(ので、これが同義語であることを自然言語処理システムは認識できないといけない)という話をして昔に書いた日記を紹介したが、このような略称の作り方は知らないと想像できない気がする。そもそもこれらが略称であることは、かっこ表現を使ったり、ニコニコ大百科Wikipedia に書かれていたりしてすぐに抽出できるだろうと思うが、かなり生産的な使われ方をしているので、自分でも初めて知ったときは驚いたものである。

ちなみにこのアニメ、女子高生たちが南極を目指すという話で、とても前向きでいいのだが、首都大でもうちのコース(学域)から南極観測隊に行った女子学生がいたので、それを思い出したり。やりたいと思い続ければ、時間はかかるかもしれないけど叶うこともあるよ、と思ったりする。「花咲くいろは」もそうだが、夢が見つからなくてもやもやしていたり、夢に向かってまっすぐだったり、そういう人たちが体当たりで(叶わないこともあるけど、それとも折り合いをつけながら)いろいろ思い悩んだりするような話が自分は好きなのである(ここ10年で見たアニメの中で「よりもい」はトップ3に入るので、Amazon Prime 等で見られる人はどうぞ。)。

研究内容の社会還元にも積極的に取り組んでいきたいとは思うのだが、社会還元に使える時間が有限である以上、例えば高校生向けの講座と社会人向けの講座を両方やる時間は捻出できないわけで、コース(学科)内で負担の平準化を図ってもらいたいと思ったりする。そもそも研究室ごとに学生数も均等ではなく、大学院生数が0人の研究室もときどき出現するので、その分こういう仕事や委員会を大目にやってもらったりはできないのかなぁ、と思ったり。学生と一緒に研究するのは「負担」ではないので、そういう論調にはならないのだけど、仕事をやる人に仕事が増えるというのは比較優位的にもよくないので、いつまで経っても大学の仕事が教職員の数に対して多い状況が続いているのではなかろうか。

お昼は博士前期課程(修士)の受験希望者と面談。社会人の方で、合格したら退職して入学したい(あるいはすでに退職して研究生になった)、という人だけで、すでにうちの研究室の定員オーバー(外部受験生は3人のつもりだが、もう予定も含めると6人が希望)しているのだが、もうストレートで大学院に進学したいという受験生は(内部生を除き)断ってもいいのかな、と思ったりする。そういう人は他大学、他研究室にもあるし、もっと多種多様な人が大学に増えるべきだと思うので……。

午後は進捗報告を聞く。4月中はイレギュラーな感じだが、ようやく先が見えてきた。

夕方は南大沢に移動して基礎ゼミナールの授業。授業のあと、武蔵出身だという学生がいたので、いろいろ思い出話をしたり。首都大、実は武蔵出身の教員が多く、会員名簿を見ると10人くらいいたと思うのだが、前の学長もそうだし、上記の南極観測隊に行った研究室の阿保先生(自分の2つ隣の部屋)も武蔵出身。同期160人の中でも10人くらいは研究者をしていると思うし、それなりに多いように感じる(他の学校のことをそんなに知っているわけではないが)。

言いたいのは、研究者の中に武蔵生が多い、という話ではなく、武蔵生の中に研究者が多い、という話で、たとえば研究者の中に開成や麻布出身の人も多くいるのは知っているし、実際開成は武蔵の3倍、麻布は武蔵の2倍の生徒がいるので、絶対数として開成や麻布出身の人は多いのではないか? あと、研究者になる人が多いからどうだ、と言いたいわけではなく、むしろ研究者になる人が多いような浮世離れした環境で、むしろリスクをリスクだと認識する能力が低い人が多い、あまり褒められた環境ではないと思っている(同じく武蔵出身の人が「武蔵は温室で中の生徒はぬくぬくと育つが、外に出ると枯れてしまう抵抗力の弱い人物に育っているのでは」というようなことを言っていて、確かになぁ、と思ったことがある)。