午前中、年末年始で行けなかった娘の皮膚科。右肘の内側に水いぼができていて、基本的には放っておけばいいようなのだが、かきむしってしまって血が出たり他のところに伝播したりしているので、薬をもらって経過観察に行っているのである。この皮膚科、普段は高齢者しか来ないからか、行ったら職員の方々に止まらず患者の人たちにも大歓迎。こんなに可愛がられていいんだろうか。老人ホームと幼稚園や保育園を近くに、という話があるのはよく分かる。一人の子がこんなに可愛がられてしまうと有頂天になるので、もっと分散したほうがいいのではないか?
午後は娘を見てもらって自分は Skype でミーティング。社会人博士の人は、いま土曜日あるいは平日の夜に Skype で進捗報告を聞いているのである(強制ではなく、リクエストベースで)。以前からそうしておけばよかったような気もするが、娘が小さいうちは無理だったかな〜。保育園で午前中の9〜12時だけ見てもらう、みたいなことをすればちょっと違ったかもしれないが、2歳を過ぎてようやく実家で数時間〜半日見てもらうことができるようになったので、余裕が出てきたのである。
社会人博士の人とは最近は Skype でやってますよ、と秘書さんに言ったら「そんなこと知られたら社会人博士の人が殺到するんじゃないですか(笑)私は Google Hangout 使ってますが、便利ですよね。」とのことだったが、さすがに殺到したりはしないような……(殺到してくれたら嬉しいけど)。人数が増えたら、1:1 ミーティングではなく、土曜日にリモート勉強会(という名の進捗報告で、1人30分ほど何か話してもらう)を開こうとは思っている。
そういえば自分も M1/M2 のころ土曜日に SICP というプログラミングの教科書を読む勉強会を土曜日の14時から開催していて、毎回演習問題を全部解くというコンセプトでやっていたのだが、土曜日の朝起きて勉強会の始まる時間までひたすら(タイムリミットを感じつつ)問題を解いたりしていて、それはそれでいいサイクルだったように思うので、土曜日の午後やる、というのは悪くないという気がする。平日は余裕がなくても、土曜日はこれをする、と決めていたら午前中にたとえば3時間論文を読んだだけでも、ディスカッションできると思うので。いずれにせよ、今の研究室の規模感で最適な研究環境というのはどういうものか、色々試してみたい。
夕方は1-3月の研究室関係の予定や TODO を整理する。毎年この時期はこんなもの、というのを一度整理して、機械的に入れられるようにしたい(たとえば修論の締め切りの何日前に初稿を出す、みたいな)のだが、こうやって失敗した、これはよかった、というのはやった直後でないと覚えていないことが多い半面、やった直後では評価が難しいということもあり、明らかによかった、明らかに悪かったということ以外はなかなか翌年に知見を生かすことができない。
とりあえず、今年までに分かっているのは:
- B3 の学生は仕様を決めることも含めた言語資源作成をしてもらうとよい(教科書の輪読は効果が実感できるのがかなり先だし、議論するサイクルが入らない単なるデータ作成は作業的になってしまって、研究室で教育の一環としてやるのは不適切。ツール作成など実装するのは学生の能力と意欲に依存するので、事前の準備が難しいしグループでやるのに向かない)
- B4 の学生は原則として言語処理学会年次大会に原稿を投稿してもらう(卒論を書いてもらっても、うちの研究室では後輩に研究テーマを引き継いだりすることがないので、内部的な文書はあまり意味がないし、学内には専門が近い教員がいないので、学外の人からフィードバックをもらった方がいい)
- M1 の学生は論文執筆とインターンシップやアルバイトが重ならないようにする(両方同時にやると両方が中途半端になるし、論文執筆に100%時間を使えないことによって増えるオーバーヘッドは、結局教員が負担することになってしまい、現状の体制では投稿を許可すると小町の負担が過度に増える)
- M2 の学生は修論発表会までに国際会議・論文誌の投稿を終えてもらう(修論発表会を過ぎると一気にモチベーションが下がり、卒業式くらいまで音信不通になることすらある。また、就職してしまうと当然ながらやる気と時間を確保するのがとても難しい)
こういうのを公開すると、心当たりのある学生本人が「自分のせいではないか」と思ってしまうかもしれないのが心苦しいが、小町としては学生本人に対して悪い感情を持ったことは一度たりともないし、それぞれの知見を得るために協力してもらってむしろ感謝しているので、気にしないでほしいと思っている(あと、一人の経験だけからこうする、ということは基本的になく、どれだけ少なくとも3人同じことがあってから行動を変えているので、「自分かも」と思ったら少なくともそう思う人が最低でも3人はいた、ということなので、1人だけの知見ではない)。