先輩を横目に英語書いてみる

午前中、昨年末に納入されるも GPU が4台中2台しか認識されず、しかも GPU にアクセスすると(正確には strace で見ていると、GPU を使うとき /dev/nvidiactl にアクセスしようとすると)プロセスがフリーズし、ゾンビになる現象に苦しめられていたので、業者の方に来て見てもらう。

この業者、メールしても2週間以上返事がない、というのが2回くらいあり、なんだか不安なのであるが、自分もメールして何週間も返事をしないことも普通なので、お互い様だと思って特に気分を害したりすることもなく応対している(むしろ、同情を禁じえない)。

来て見てもらったのだが、実際目の前でハードウェア的に2台しか認識していないことを見せると納得され、代替機をすぐ用意するので引き取らせてほしい、というので、ディスクだけ抜いてお渡しする。代替機は月曜日には届くらしいが、数日データにアクセスできないのは痛い……。

午後は大学院教務委員としてプロジェクト演習の成果報告会の裏方のお仕事。なんとか全員来てよかった。プロジェクトによって(メンバーによって)タスクの重さが全然違うので、これいいのか悪いのか不明である(やった学生は、勉強になったと満足度はそれなりに高いようだが)。M1 の前期の講義の分量を減らして M1 の前期にやればいい(後期にも講義を取る)と思うのだが、M1 の前期に講義を取りまくる人が多いので、M1 後期に実施せざるを得ないというジレンマ。夏休みにやるのがベストで、そうしている学域(コース)もあるが、企業のインターンシップに行けなくなるので、今の形が局所最適解なのかなぁ。

夕方は本日分の修士論文のコメント。首都大に来て修士論文を見るのは3年目だが、研究室によってクオリティが大きく異なる。学部生の研究室配属では成績順に希望が通るので、成績のよい学生が行く研究室はよく研究ができる、というのがもっとも納得度が高い説明かもしれないが、成績は悪くないはずの学生でも、2-3年後には配属された研究室のカラーの修論になってしまうというのは、研究室のファクターが大きい、ということであろう。

研究テーマやら研究スタイルやら様々な要因によって研究室を選択し、こうなっているわけなので、学生も教員もベストを尽くしてこのようになっているのだろうと思うが、どうにかできないかなー。研究室内で縮小再生産されるのは避けたいのだが……。

研究室配属前の学生のレベルを底上げすることと、研究室に配属されたあとの他研究室の学生にもそれなりに有効なフィードバックをすることの2点が考えられ、分野が離れれば離れるほど前者も後者も難しいので、現実的には現状からあまり変えられないかもしれないが、とりあえず、修論発表会でコメントしても時すでに遅しなので、大学院生に関しては、半年ごとの公開期末評価で厳し目のコメントを言っておく方がいいのかな(そして半年後にはちゃんとそれが反映されているかどうかをチェックするべきか)と思った。

うちの大学、学生の能力的には、適切な指導があれば1割くらいの学生は2-3年あればトップカンファレンス(採択率2-3割程度)に通せると思うし、8割の学生はそこそこの査読付きの国際会議(採択率4-5割程度)に通せると思うのだが、現実は1割の学生がそこそこの査読付きの国際会議に通すくらいで終わってしまうので、なんとももったいない限りだと思っている。もちろん英語力の問題もあるが、そもそも周りに英語の論文を読む人と書く人が少ないから投稿しようと思わないので、もっと英語で論文を書く人を増やすべきだと考えている(英語で論文を書いたら、日本語で書かれている論文はほとんど参照できないので、勢い英語の論文を読むことにもなる)。研究室の学生20人中、すでに英語で論文を書いたことのある人が11人(投稿断念も含む)で、いま新しく英語で論文を書いている学生が4人なので、3/4の学生が英語で論文を書いていれば書くのは当たり前だと思うだろうし、書いてみれば案外みんな書けるものなので、「あの先輩でも書けるなら自分でも書ける」と思ってバンバン書いてもらいたい。

まあ、そもそもトップカンファレンスに通したいと思っていない学生もいると聞いたし、それも事実だろうが、挑戦できるなら挑戦したい、という学生と、ちゃんと指導する研究室がうまくマッチできればいいのだろうか?(国際会議文化ではない分野は、国際会議のところを適宜論文誌に読み替えてもらえばいいが)