難しいことはみんなでやればいい

先日から妻が指に怪我をしているので、料理を作ったりなんだり。雨っぽいので外にも行けず。

突然娘(2歳4ヶ月)が誘ったらトイレで(正確にはおまるだが)するようになって、びっくり。これまでは誘っても跨らなかったり、跨っても何もしなかったり(口では「おしっこでた!」とか「うんちぶりぶりー」とか言うのだけど)していたのだが、偶然ではないかと1時間おきに声かけしてみたら、驚いたことに毎回ちゃんとしている。一度できるようになるとあっという間だとは聞いていたが、なんの前触れもなかったので、驚いた。

記憶によると、今年の4月くらい(2歳になる前)から家では紙オムツを履いてくれなくなって、(トイレトレーニング用の厚いものは嫌がるので)普通の薄いパンツとズボンで過ごしていたのだが、平日でも1日に2回洗濯機を回さないといけなかったりして(ちなみに洗濯と物干しは自分担当なので切実)、いったいいつまでこれが続くんだろう、と思い悩んでいたのである。冬は洗濯物が乾きにくいから、トイレトレーニングは夏にやる方がいいと聞くけど、全くトレーニングする気配はないし……。(自分たちも、特に何かを強制したいわけではないので、家では好きにさせていた)

思えばこの「トイレトレーニング」というのが曲者で、子どもが生まれてこの年齢になるまで、そもそもそういう問題が存在することを意識していなかったので、確かに(紙)オムツだった赤ちゃんが、いつどのようにどうやって自分でトイレに行けるようになるのか、ということは考えてもみなかった。自分が子どもだったころ、物心ついてからもおねしょはときどきしていたので、おねしょの記憶はあるのだが、弟たちがどうしていたのかも(弟たちが1-2歳のころ、自分は小学校低学年だったので、体験しているはずなのだが)全く覚えていない。

娘が紙オムツを履いてくれなくなってから、母に聞くと「4人とも全員男の子だったから、裸にしてほっといたら、そのうちトイレ(おまる)でするようになった。でも女の子だと裸にするのはちょっとね」と言っていて「ホンマかいな」と思っていたが、確かに我々兄弟のアルバムを見ても丸裸の写真がときどきあるし、弟たちも年中素っ裸でいたような記憶が……。弟たちのオムツ替えとかオシッコやウンチの始末を少しでも手伝っていたら覚えてそうなものだが、全く手伝った記憶がないので、両親が全部やってくれていたんだなあ、と、自分が子育てする側になって初めて分かることも多い。

保育園で聞いてみると、娘と同じくらいの月例の子がトイレに行くことに一回成功したのを皮切りに、うちの娘がトイレに興味を持ち出し、今では2-3歳の子のこれまで紙オムツだった4-5人がトイレに行くようになってきたらしく、近くに色んな子がいる、というのはいい影響もあるんだなと思う。一人ができるようになると続々勝手にできるようになる、というのは大学にいてもよくあることなので、教員としてもいかにその一人の学生を生み出すか、ということを日々考えているわけであるが、こういう体験は大学でも家でも爽快感があって、とても楽しいし、こういう成長を見るとしみじみと嬉しいものである。

実は、 保育園に娘と一緒に通うようになるまでは、月例的に娘のリアクションがあまりなかったということもあるが、1人だけ見ていると発達具合も相対化できず、子育てにあまりおもしろみを感じていなかった。 やっぱり、すごい成果が得られるときも、その子や学生1人だけの成長や能力なのではなくて、潜在的に誰でもできる能力が養われているときに、誰かが何かのきっかけで成功すると、みんなの潜在力が発揮されるということだと思うし、そういった(コミュニティとしての)潜在能力を地道に高めるということと、ときどき適切な刺激を与えて一気に開花させる、ということに、自分はおもしろさとやりがいを感じるのかなと思う。(教員の仕事じゃなくても、こういう形をしている仕事なら自分は楽しめそう。育児と比べて家事、研究や教育と比べて大学運営や学会運営は作業的に感じるのは、こういう「収穫」みたいな体験が少ないからだろうなぁ……)