看病をしてみて思う親心

朝からずっと娘の看病。以前のような元気はなく、つかまり立ちやはいはいどころか、寝返りすらしない。あれだけ激しく投げたりつかんだりしていたおもちゃに見向きもせず、ぼーっとしていて少し心配。なにより下痢が激しく、紙オムツの横から服やシーツにすぐ漏れるので、始末がやっかいである。

夜中も3時間おきくらいに起こされていて、看病も大変、と一瞬思いかけたのだが、よくよく考えると、娘が生まれて3ヶ月くらいはずっとこんな感じで、寝返りもせずミルクのときに泣き、飲んだら横にすると寝て、ウンチも水っぽくてちゃんとギャザーを出さないといけなかった、と思い出してからは、全然苦ではなくなった。3時間ごとに起きるのも身体が覚えており、むしろ、半年前は確かにこうだった!と懐かしささえある。

結局一日中ずっと娘と一緒にいて、起きていれば縦に抱っこしてやり、眠そうにすれば横にしてやり(ぐずることなくすぐ眠る)、自分の一生で朝から晩まで誰かの世話のことだけを考えて、それだけをする、というのは初めての経験だったが(妻が根津でノロにかかって倒れたときは、休みを取って奈良から新幹線で駆け付けたが)、自分もこうやって(親に)育てられてきたのだな、そして死ぬときはこうやって(誰かに看取られて)死んでいくのかな、と考えたりする。

娘を育てることで非常に得難い経験をしているし、娘がいてよかったなと思うのだが、娘と2人きりでいると、世界に自分たちしかいないのではないか、というような、ときどき不思議な気持ちになる。毎日夜から朝にかけて、妻は別室で寝ているので自分が娘と同じ布団で寝ているとか、妻が土曜日に仕事なので週1日必ず娘と2人きりで日中過ごす時間があるとかいうのがそう感じる主な原因だろうが、世の中の父娘の人たちはどうなんだろうか……。

最近伊藤理佐の「おかあさんの扉」を隔週で1冊買ってきて読んだりしている。

おかあさんの扉

おかあさんの扉

最初は、親が高齢出産で、かつ娘が一人っ子、というところが似ているので、参考になるかと思って手に取ったくらいのつもりだったが、中で描かれている吉田戦車(父親)の心境がよく分かる……。デレデレにかわいがりたいわけではなく、かわいくないわけでもないが、将来のことを考えると手放しで喜べない(?)的な……。