ほっとくと「なにやってんの?」とやってくる

雨模様だったので、一日家で過ごす。

最近の娘(1歳10ヶ月)はおえかきが好きで、よく「かえる!かえる!」とカエルを描かせるのが日課である。なぜカエルなのかは不明だが、塗り絵のように色をつけたりするのが楽しいらしい。

言葉については新しい単語を覚える速度が増え、いちいち記録していられないくらいである。先々週から「なにやってんの〜?」とよく聞いてくるようになっていたが、先週からは「これなにー?」が始まり、何でもかんでも「これなに」「なにやってんの」が始まる。

これで未知の名詞と動詞を自ら獲得することができるわけだが、有限の入力で個別言語の文法を獲得するのはすごい、というのは子どもが言語を獲得するのをつぶさに見ていなかったから思っていただけで、この2年弱娘が言語を獲得するのを横で見ていると、大人側、子ども側の両方からかなり能動的な働きかけがあって言語が獲得されるようで、半教師ありの強化学習っぽい。少なくとも、赤ちゃんは自分の想像していた以上にはるかに意味不明な音、単語、文を発話するし、多種多様な発話の中で大人の真似をしたり、あるいは自ら文を生成してみて「これは違う」ということを教わるのはかなり重要に思う(そういう意味では、単にテレビやビデオを見ているだけでは、学習の速度は遅いだろう)。

自分も日本語以外の言語を喋るとき、ネイティブからするとこれくらい意味不明な感じで言っているんだろうな、と思うのだが、それでも忍耐強く話に付き合ってもらえるのはありがたいことで、そうやって話を聞いてくれる存在が、言語獲得においてプラスに働くのだろうと思う。何言っているんだか分からない、とイライラされているのを感じると、用事がないと話しかけたくなくなるし、自分も気を付けたい……(言語獲得に限らない)。

娘の「これなに〜」「なにやってんの〜」も、特に物の名前や何をしているのかを聞きたいというような感じではなく、そう言うと大人が答えてくれるのが嬉しいから言っている、というような印象なので、こうやって懐いてくれているうちが華だと思っていろいろコミュニケーションを取って遊びたい。保育園にいる子たちを見ると、2歳半にはもうみんな普通に喋るようになってしまうので、この意味不明感は1年くらいしか楽しめない。子どもが1歳になるまでは自分の手元で育てたい、と母親は思うらしいが、自分的には言葉を喋るようになってから文をちゃんと組み立てられるようになるまでの1年間を参与観察したいものである。(しかしどうも赤ちゃん同士で何言ってんだか分からない会話をするのも意味があるようで、親とだけいてもよくないのだろう)