午前6時半から原稿の添削。他にも重要度の高い仕事があるのだが、〆切が近いものをどうしても優先してしまう、という問題。
お昼は実家に行く。弟夫婦たちが来ているのである。なんだか毎月のようにきているようで、自分が逆の立場だったら、せいぜい年に1回来れば相当頑張っているのではなかろうか?と思ったが、敬老の日、ということを教えてもらい、なるほど、と納得。
いまは週2回くらいくらいそれぞれ数時間娘を見てもらっているので、しょっちゅう行くようになったが、これ近くに祖父母がいない共働きの家や単身赴任の家は大変なのでは、と思う。
午後は別の原稿の添削。いま論文誌を1つ、国際会議の論文を5つ同時に書いているので、後者が全然回っていない。本来もっと余裕のはずなのだが、1本想定外に時間を取られる原稿があったのである。
みんな英語はそこそこ書けている(NAIST にいたときより、英語の添削は楽)のだが、英語で何を書いているかはわかっても、その通りに解釈すると意味不明な文章が散見され、それを理解可能に近づける、というのが最近の仕事である。結局これは英語力の問題ではなく研究力というか日本語力の問題で、この論文を読んでなぜこの手法に取り組んだのか、そしてこの論文の内容を読めば提案手法が実装できるか、最後にこの論文で分かったことは何か? という視点で書いてほしいのだが、どれも厳しい。書いている人の頭の中にはあるのかもしれないが、それを他の人が理解可能な形で切り出す、というのが論文の使命なのである。
結局のところ、論文を読んでいない人は論文を読めない(トートロジーに聞こえるかもしれないが、卵が先か鶏が先か問題で、理解できるかどうかにかかわらず、まずそこそこの量を詰め込む必要があると思っている)、というのが今年の夏に得られた知見で、大学院生はとにかくひたすら論文を読んでほしい。ある程度論文的な書き方に(研究のストーリーの立て方というレベルでも、細かい表現のレベルでも)慣れた上で、ようやく(研究のストーリーの立て方というレベルでも、細かい表現のレベルでも)書けるのではないか、と思っている。