朝起きて夜眠るまで家事育児

日曜だが妻が出勤なので、娘と2人で過ごす。雨なので、妻の送り迎え以外、外にも出かけず……。

子どもが生まれるまで分からなかった(頭では理解していたつもり)のだが、子どもがいると一人にすることができないので、土日と夜は大人が側にいる必要がある。とはいえ、子どもとべったりではなく、面倒を見つつメールの読み書き程度はできるだろう、と思っていたのだが、全くそんなことはなく、娘は起きているときはメールを書くことはおろか、TwitterFacebook につぶやくことすらできない(読むことはかろうじてできる)。

妻が仕事の日は自分が朝9時から19時まで見るのだが、この間娘が昼寝をするのは合計2時間強で、それ以外の7時間強は文字通り娘とべったりである。嫌々しているということは全くなく、普通に考えて乳幼児はかわいいもので(最近は笑ったりコミュニケーションが取れたりするようになって、なおさら愛着が湧く)一緒にいて幸せをほのかに感じるのだが、長時間一緒にいるとやはりしんどい(夜12時から朝7時までの育児は自分の担当で、最近は夜泣きで夜に3回ほど起こされるようになったのもある。離乳食中心にしつつあり、3月下旬からミルクをフォローアップミルクに変えたので、夜の腹持ちが悪いのかもしれない)。

最近は少しずつ一人遊びをするようになってきているが、とはいえ放っておいて黙々と遊んでいるのは長くて数分間だけなので、トイレに行くのもドアを開けたまま行くしかない。ドアを開けていると、追っかけっこあるいはかくれんぼしていると思うのか、見当たらないと絶叫して泣くのだが、娘を呼んで場所を知らせてこちらを見つけると、嬉々として笑いながら突撃してくるのであるが……。

毎日淡々とあまり感情の起伏なく生きているほうだと思う自分ですらこうなので、産後うつ育児ノイローゼになる人がけっこういる、というのも納得。世の中の専業主婦・主夫の人たちはこれを乗り越えているのかと思うと、敬服する限りである。どう考えても保育園さまさまで、平日の日中はプロの保育者とお友だちに囲まれていて、娘も我々もハッピーだと思う(保育園がなかったら不幸になっていたかもしれない)。

とはいえ娘がいない生活というのももう考えられないもので、娘がうちに来てくれてよかった、と心底思う。毎日成長していくのを見る、というのはすごく新鮮で、思えば自分が教員を天職と思うのも学生の成長を見るのが楽しいからで、そういう現場に立ち会わせてくれてありがとう、と大学という職場にも、家族にも感謝している。周りが全員自分より優れている環境で末席として仕事をしたい、というような考え方もあるだろうが(実際 NAIST 松本研に入学・卒業するまでは、そういう考えであったが)、自分はそういうふうに周りが完成されている状況より、磨けば光る原石のような石を見つけ出して磨く方が性に合っているのだろう。

研究室が今年度から20人超えで、教員が自分一人なのでいなくなると研究室が回らないので責任重大だと思っていたが、考えてみると学生はもういい大人で、1週間放っておかれても死ぬわけでないし、娘の面倒を見るのと比べると全然比較してはいけないくらい気楽なものだと気がついたので、学生諸氏はのびのび楽しく研究生活を送ってもらえれば、と思う。

そういえばヒラノ教授シリーズの新作、「あのころ、僕たちは日本の未来を真剣に考えていた」を読んだ。

官邸の頭脳として政策立案の参謀になる、というのはアメリカではよくある話だが、日本でもそういう役割の人がいたのだな、と感心する。さすがに首都圏、特に東京に住んでいないとこういう仕事はできないし、こういう仕事をしている間(数年間)は研究を断念するしかない(し、そうすると恐らく世界のトップ層との間の溝は埋められなくなる)だろうが……。もっとも、今は情報処理分野でいうと NICT情報通信研究機構という総務省の研究所) や産総研(同じく経産省の研究所)、国立情報学研究所(同じく文科省の研究所)といった国立の研究所から出向したり、在籍のまま兼務したり、というのが多いのかもしれない。

自分もそのうち大学の運営や国・都庁関係の何かにお声がかかるのかもしれないが、50歳くらいまではやらなくていいかなぁ。