NLP2015 開幕: 新しい研究テーマを考える

今日から言語処理学会第21回年次大会である。去年に引き続き今年もプログラム委員として少しお手伝いしている(引き継ぎも入れて任期2年)ので、大きな問題なくここまで来られてほっとしている。

朝早く家を出て、品川経由で京都へ。国際会議の査読が終わっておらず、車内でやったり。既に読んで調べてあって何を書くのか既に頭の中にあっても、英語をチェックしながら書いたりすると、1本あたり1時間くらいかかるのである。

ホテルに荷物を置いてから会場へ。今年は情報処理学会全国大会と同時開催で、ホテルが取りづらいことが予想されていたが、昨年のうちに予約していたので、問題なかった。京都市に1年間住んでいたとはいえ、自分が住んでいたのは伏見区で南の方なので、京都に来るときどこに泊まればいいか迷う。今回は四条にしたのだが、京大に用事があるなら三条の方がいいのかもしれない。(うちの学生は京都駅付近に泊まっているらしいが、京都駅からだとバスで行くことになり、激混みになりそう)

チュートリアルは動画配信予定であったが、回線の都合によりキャンセルになったらしい。情報処理学会ニコニコ動画で中継するようだし、できないということはないと思うのだが(NL研の配信でも、帯域が確保できないときは画質を落として配信している)、やはり動画配信に関するノウハウの蓄積具合によるのかなと思った。NL 研の幹事をスムーズに引き継ぐためにも、まとめておきたいものである。

お昼は甲南大学の永田さんとランチミーティング。今回は若手の会の委員会を卒業したので、ランチの時間の自由度は上がったのだが、永田さんとお会いするのは1年ぶり。北海道でお会いしたのが半年前くらいに思っていたが、1年になるのだなぁ。

お昼はハイライトというお店で食べる。まさに学生食堂という感じでよい。首都大日野キャンパスは住宅地の中にあるので、スーパーはたくさんあるのだが、学生街がなく、安く食事できるような場所がないのである。もう学生のころのような胃袋でもないのだが、ついチキンカツ定食を注文してしまったり……。

研究に関するミーティングの他、研究室運営の話をしたりする。研究室に来てくれないとどうしようもない、ということは共通しているのだが、できるだけ研究したい(研究に限らず、自分の能力を高めたい)と思っている学生と、できるだけ研究しないで修士号(学士)が取りたいと思っている学生とで温度差がある。いまのところ後者のタイプの学生に当たったことはないのだが、そういう学生が研究室に入ってくると、対応に苦労しそう。(研究を無茶苦茶してほしいとは思っておらず、普通にしてくれればいいだけなのだが、最小の労力で単位が取れた、あるいは卒業できた、ということを自慢したり、それに向けて最適化する学生がいると、ちょっと困る、ということ)

午後のチュートリアルは [twitter:@neubig] さんの「国際会議論文の読み方・書き方」に出た。自分もまだまだで、どのように学生に読み方・書き方を教えればいいのかと試行錯誤中なので、大変参考になる。@neubig さんと同じく NAIST助教のときは学生がどうすれば書くようになるかを考えていたが、首都大の学生はまず国際会議の論文をみんな読まないので、どうすれば読むようになるか、というところが問題なのである。(うちの研究室の学生はまだましで、研究室の方針によっては日本語の論文しか読まない)

そこで @neubig さんが [twitter:@syou6162] くんのブログを紹介していて、自分も論文紹介について書いたことを思い出す。そういえば、助教のときも学生のみんながみんな論文を読んでくれるわけではなくて、読んだら研究のおもしろさが分かるかもよ、と粘り強く繰り返していたのであった(一流論文を100本読むと大体わかってくるというのはガチ)。分かったからといって書けるようになっているわけではないのだが、好きにしていいと言われて何をやったらいいんだろう?と思ってずっと手が止まってしまう人は、とりあえず最初はひたすらインプットするといいと思うのである。

あと、@neubig さんが添削するときは紙に赤で書き込んで渡すという話を聞いて、やっぱりそうだよなぁ、と思ったりする。Git で共有したりする手もあるのだが、紙に直接書き込まれるのと比べると、重みが違うというか(電子的にもらうほうが便利なんだけど)。学生のとき、共著者の方々からコメントもらうときはだいたい紙ベースだったのだが、おびただしい往復をして真っ赤になった論文は自分の宝物で、論文が出版されても大事にドラフトは全部取ってあったのである(奈良から東京に来るときに、全部スキャンして捨ててしまったが)。あれくらい面倒を見てもらった経験が、いま自分が大学で教員をしている原動力の一つであるし、直筆の手紙をもらうような思い入れが生まれるので、可能な限り自分も紙で返そうと思った。

夕方は関西 MT (機械翻訳)勉強会。関西にいるときも数回参加していたのだが、最近は名古屋で開催されたり北海道で開催されたり、「関西 MT 勉強会東京支部」まであるそうで、神出鬼没である。

実は業界の人には周知の事実であるが、日本の自然言語処理は西高東低、つまり西に研究の中心(大学では京大・NAIST、研究所ではNTT・NICTなどなど)があり、東日本は手薄なのであるが、業界外の人にこれを言ってもにわかに信じてくれない。看護の領域でもツートップといえば(東大・京大ではなく)聖路加と千葉大なのであるが、こういうふうに分野によって強い大学が違うというのは、日本人にはなかなか受け入れられないもののようである。

関西 MT 勉強会、今回の目玉は長尾先生の招待講演であったが、事前に寄せられた質問に答える、という形式でとても示唆に富むものであった。以前も紹介したことのある、長尾先生の「情報を読む力、学問をする心」は、人工知能の研究を志す人は、一度読んでおくとよいだろう。

情報を読む力、学問する心 (シリーズ「自伝」my life my world)

情報を読む力、学問する心 (シリーズ「自伝」my life my world)

最後、質問の時間に賀沢さんに「小町くん、なんか質問ないの?」と水を向けられ、研究をする、ということの意味が自分の立ち位置とともに変化していくが、どのように気持ちを切り替えていけばいいか、あるいは切り替えなくていいか、ということを質問する。長尾先生のお返事は2つで、まず仲間を作ること、そして知識ゼロの全く新しいことに挑戦すること、というシンプルな答えであった。

仲間を作る、というのは全くおっしゃる通りで、自分も奈良にいたときは仲間の大事さを痛感していて、何かあればよく東京まで出てきていたものであるが、よくよく考えてみると、研究的な「仲間」というのはあまり意識していなかった(自分の人生の中で、研究が一番のプライオリティではないせいだろう)。地理的に離れていてもずっと一緒に研究をしている、という意味では、甲南大学の永田さんがこれに当たるが、研究的にもこういう連帯を他の分野でも広げて、続けていきたいなと思った。

2つ目の、全く新しいことに取り組む、というのは言うは易く行うは難しで、長尾先生は自然言語処理から画像処理へ、そして機械翻訳へ、最後は電子図書館へ、というように10年ごとに専門を変えられていて、それぞれで大きな業績を残されているが、自分が疑問に思っているのはどうやって研究分野を変えるのだろうか?ということである。

たとえば、自分が筆頭著者で研究するようなタイプの研究者であれば自分で気持ちを切り替えればいいのだが、大学教員だとほとんどの場合実質的にサーベイしたり実験したりするのは学生であって、自分がこういう研究をしたい、と言っても(特に新しい分野だと)無理ではないかと思うのである。

ざっくり言うと大学教員にも2通りあって、1つは研究に関して学生の好きにやらせるが、研究テーマの拒否権が教員にあるタイプと、もう1つは研究テーマは教員が提示する数個の中から選択しなければならないが、テーマの選択権は学生にあるタイプかなと思うのだが、自分は前者なので、どうにも学生にこれをやれあれをやれと言う気にならないのである。(本人がやりたいと言っている研究テーマに関しては、論文にするならこれをやってね、と言うことはあるけど、同時に論文にしないなら別にやらなくてもよい、と言っている)

とはいえ、昨年後半から、学生と一緒に深層学習の勉強に取り組んでいるのは、ゼロから勉強しているというわけではないが、割と楽しいので、こんな感じで学生がやりたいという新技術について勉強するのも悪くないなと思う。

勉強会のあと、南禅寺順正に移動して言語処理学会年次大会のプログラム委員の打ち上げ。プログラム委員の反省会もしつつ、たまたま現地実行委員の [twitter:@shirayu] くんが来たので、最近の研究の話をしたりする。年次大会のプログラム委員の任期は2年なので、これで一区切りである。お世話になっているという意味でこの数年はある程度学会の仕事を引き受けていたが、娘が生まれたこともあるし、研究室メンバーも育ってきたので、少しずつ学会関係の仕事も減らして研究に回したい。

帰り道、NAIST 松本研の O 内くんと偶然出会ったので立ち話をしたりする。やっぱり自分で論文をガツガツ読んで実装している、大学院生からポスドクくらいの人と喋るのが一番楽しいなぁ。学会や研究会に来て、大学の話や教育の話ばかりしていても仕方ないので、できるだけ研究の話をしようと思うのであった。