今日も上の子を教会に送って、少し仕事をさせてもらう。合計5時間くらい。言語処理学会年次大会の原稿は1本だけで、あとは修士論文と卒業論文が5本。今年は修士論文を国際会議に投稿するという学生がおらず、基本的には既発表のものをまとめるだけなので、そこまで大変ではないが、初稿のコメントなのでそれでも1本1時間くらいかかる。
経験上、修論についてはみんなそれまでに論文を書いた経験があるので(研究室の学生のものを)読むのはそこまで大変ではないが、大変なのは卒論で、こちらは初めて論文を書く場合がほとんどなので、あらゆる書き方を教えないといけないことがある。最近はメンターの人に間に入ってもらい、言語処理学会の年次大会の原稿を共著で書いてもらうことで、基本的にはメンターに細かく論文の書き方を見てもらっているのであるが。自分自身、飛躍的に論文を書く能力が上がったと思うのは、助教になって他の人の原稿に赤を入れるようになってからなので、同じような体験をしてもらおう、という狙いもある。
自分は一人の学生に使う時間に上限を設定しているので、その時間の中でどういうフィードバックを得たいのか、ということを意識して教員を活用してもらうのが一番よいと思っている(そのため、分からないところのディスカッションや細かいフィードバックは先輩・同期・後輩等々からもらうのが効率的)。細かいところのコメントばかり(しかも毎回同じ指摘)でタイムアップになるのは、お互い有益な時間の使い方ではないと思うのである。
最近は研究室に来る学生(学部生と修士の学生)にも、うちは学生同士の教え合いで成り立っているので、一人で図書館にこもって黙々と勉強したいとか、あるいはあまり研究室に来ないで自宅でやりたい、とかいう人は、他に行った方がいいよ、ということを伝えているので、来る人は理解して来ているとは思う(前はここを明示的に伝えていなかった)。博士の学生については博士号が取れるかどうかは本人次第で、何年かけても取れない人は取れないし、取れる人は研究室に来なくても取れるので、そういうことは要求していないのだけど。ただ、最近は自然言語処理の隣接分野(音声・画像処理とか)で修士号を持っているか、あるいは仕事でそれらの研究開発に従事している、という人以外を博士後期課程に受け入れるのは(研究室のキャパシティ的に)厳しいなと思い始めてきている。修士を自然言語処理で取った人、あるいは仕事ですでに自然言語処理分野のジャーナルまたは国際会議のフルペーパーの採択経験があるなら3年で博士号は取れると思うが、そうでない人が3年で取るのはかなり難しいと思うので……。