論文ではなぜ、なにを、どのようにして、どうなったかを書く

午前中は自然言語処理の授業である。出席を必須としなかったせいで(登録者10人ほどに対し)最後は出席者が3-4人ほどであったが、教えるべきことは教えた。コーディングスタイルの話とか含めてこの授業ではいろいろ話したのだが、聞いておいてほしい人(うちの研究室の学生)の出席が少なかった気がする。ただ、復習なのでおもしろくないかもしれないし、仕方ないかぁ。

昼からはコース会議。年度末処理関係がいろいろある。2年任期のコース幹事の仕事もようやく終わりが見える(年度内のコース会議はあと3回)。早く引き継いでコース幹事の仕事から解放されたい……。

午後は進捗報告。まだ対外発表をしていない修士の学生を対象に、毎週進捗を聞くことにしたのである。M1 は就職活動もあるので大変だとは思うが、今年は就職活動が長期化することが予想され(うちの研究室でもすでに内々定をもらっている人から、まだほとんど動いていない人まで幅がある)、「就職活動が終わってから研究に復帰すればいい」とすると最悪9月まで研究に復帰できない恐れがあるので、なんとか時間をやりくりして研究も並行してやってもらえればいいかなと。

就職活動の合間に研究をするのは精神力が必要なので、できるだけ就職活動の期間は就職活動に集中できるようにしてあげたいのだが、現実問題として去年は就職活動と言って2月から8月まで研究が止まった学生がいるので、対外発表できる進捗がまだない学生には対しては、やむを得ない気もする(すでに対外発表を済ませていれば、最悪それで修士論文が書けるのだが、そうでなければ就職が決まっても修士論文が書けない恐れがある)。

もっとも、進捗報告は単なるペースメーカーにすぎないので、やりたくないもしくはインターンシップなどでやれないならやらなくていいし、各自自分のペースで進めてもらえればとも思っている。進まなくても研究室が困るわけではないし、自分自身、学部を3年留年しているので、自ら留年するという選択をする人の決定は尊重したい。(もちろん、留年するつもりだと明示的に言ってくれないと、留年しないつもりだと思って副査の先生の調整をしたりなんだり、あれこれ気を揉むのであるが)

夕方は言語処理学会年次大会のワークショップの原稿に赤を入れる。〆切が2月15日(日)なのだが、運の悪いことに土曜日から日野キャンパスが停電で、追加実験の結果が全部揃わないという問題。いまの結果でも議論はできるので、その筋で考察を書いてもらう。発表の時間までには結果が揃うと思うので、停電から復帰したら回し直してもらおう。

そういえば、初めて論文を書くときは「考察を書く」というのが意外に難しいようである(自分は昔から理屈を考えることが多いので、あまり意識しなかったが)。学生は「精度が上がった」というのを(しかもそれだけを)考察に書いたりすることが多いのだが、それは実験結果であって、なぜ上がった(あるいは上がらなかった)か、それは予想(仮説)通りか、どのようにすれば改善できるか、そういうことを議論するところが「考察」なのだが、やればできる卒論の書き方みたいなのを一度読んでもらった方がよいかもしれない。

あとありがちなのは、何をしたのかは詳しく書かれているのだが、なぜそうしたか、ということがほとんど書かれていないというもの。マニュアル(手順書)としては何をしたかが書かれていればいいのかもしれないが、論文というのは背景や目的が重要なので、なぜこの手法なのか、ということをちゃんと議論する必要があるのだ。これは意識して書かないと見落としがちで、自分も一度全体を埋めてから見直す段階で入れたりすることも多い。

もちろん、全ての文書が論文であるべきだという主張ではない。あくまで、論文(論理的な文章)であればそういう手続で書かれているものであって、大学(院)は論理的な文章の書き方を学ぶところなので、少なくとも卒業まではそういう文章を書く練習をしましょう、ということである。(そういう意味では、こうやって実際に書いて添削されることで書けるようになっていくので、今書けないというのは問題ではなく、むしろ授業料を払って大学に通う価値があった、ということである。)

夜にとあるコンテストの予備審査。数十件を見て各項目で点数をつけ、全てにコメントをしないといけないので、意外と時間がかかる(とはいえ、このコンテスト関係では合計10時間前後しか使わないので、ここが最も時間を使うところではある)。大学教員には大学での教育・研究以外にも社会的な任務がある、と思ってこういう仕事も引き受けているのだが、本務とのバランスが難しい。3つ仕事を依頼されたら2つはお断りしているのだが、もう来年度の前半はこれ以上引き受けられないなぁ。