特異点をめぐる座談会

ふと思い出して午前0時半から2時半まで、授業資料を準備する。たまたま娘のミルクで起きたからよかったが、忘れていたら危なかった……。演習の授業のボトルネックはやはり演習のコメントと採点なので、これをなんとか省力化できるといいのだが、今学期はとても課題が残る感じ。お互いが採点、コメントし合ってくれるといいのだが、どうやってそれを評価につなげるのかが難しい。あと、研究室くらいのサイズならいいのだが、50人いると個別に詳しくコメントするのは不可能だなぁ(去年は全員分、ちゃんとコメントしたが、いまの勤務時間では無理なので今学期は断念した)。

授業を終えてから富士通本社へ。[twitter:@NakataMaho] さんにお声がけいただいて、SS研究会というのに呼ばれていて、「2045年、コンピュータが人間を越えた時」というお題で座談会をするのであった。

事前に「シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき」で勉強したり、NHKの正月の特集を見たり、多少勉強してみたりしていた。

ただ、行く前のプレッシャーと比べると、行ってみるとよくも悪くも放談会という感じで、みんな好き勝手にいろいろ話して、とても楽しかった。子育て中かなんなのか、自分は最近頭が働いていないようで、ときどき言葉に詰まってしまったのが反省点。

2045年にはものすごく技術は進歩しているだろう、と自分などは楽観的に考えているのだが、逆に人間は使える資源は愚かにも使い尽くす存在(以前書いた「緑の世界史」や「銃・病原菌・鉄」などお読みいただけると)、ボトルネックは資源ではないかと思う。情報化社会ではうまいこと隠蔽されているので、あまり意識しないかもしれないが、資源は極端に偏在している(かつ既得権益が損なわれないようになっている)のだ。とはいえ、人間は根本的に変わらないので、いま大人である人は生活が大きく変わることはないし、何か劇的な変化があるとしたら、まだ産まれていない子どもたちがそれを担っていることであろう。

今回の研究会参加で一番嬉しかったのは、[twitter:@hiroko] さんと初めてお会いできたことで、Twitte や Facebook ではつながっていたのでなんだか前から知り合いであったような、不思議な感じなのだが、これまでお会いする機会がなかったのである。今日、同じ空間であれやこれやお話できて、いい思い出である。

今年度は新規のお仕事は基本的に引き受けない方針だったし、卒論や言語処理学会の年次大会の原稿で忙しいことも予想されていて、お引き受けするのを相当迷ったのだが、@NakataMaho さんは10年来の友人で、以前 NAISTトークをお願いしたときも快諾いただいたので、お引き受けすることにしたのである。そのとき他のメンバーについては知らされていなかったのだが、行ってよかった!