世の中には「やってもらって当然」のことは一つもない

研究に対する情熱と愛が死んだというエントリを見て、いろいろ考えさせられるものがあった。実は著者の方に直接お会いしたこともあるので、多少著者寄りの見方になってしまうと思うのだが、これは研究室を運営している教員の責任が半分はくらいある(研究室選択した本人の責任が2割、どちらのせいでもないのが3割)のではなかろうか。具体的には

  • 良いフィードバックが無い
  • 研究室の雰囲気としてコンピュータサイエンスを軽視している
  • サーバー管理などの本質的ではない雑務を押し付けられる
  • 研究テーマが特殊で適切な評価を得にくい

という4点問題点を挙げられていて、実は下3つは「大学で行う情報工学の研究」に潜む構造的な問題なので、仕方ない面もあるかと思うのだが、「良いフィードバックが無い」つまり何をしても褒められたり感謝されたりすることがない、というのは仕方ないという面は全くない。何かしてくれたらお礼を言う、というのは幼稚園で習うような話で(できない人も少なくないけど)、一言「ありがとう」と言えればいいだけだと思うんだけどなぁ。

松本研では、松本先生をはじめ、全員のスタッフが、どんな小さなことでも何かしたらお礼を言ってくれるし、ちょっとしたことでもいいことがあったら「よかったね」「おめでとう」「ご苦労さま」とねぎらってくれていた(というか、NAISTにいたみんながそうであった)。こういう当たり前のことを当たり前にするのは、難しい人もいるかもしれないが、プログラミングができたり研究ができたりすること以上に大切だし、口にして損をすることは一つもないので、大学の中でもぜひお互いに言い合ってくれればと思うのである。

自分も昔はそういう言葉を発することができなかった人間なのだが、高校を出てから複数の人に指摘してもらって、これはいけない、と思って自分を変えているところである(なので、ときどきお礼がぎこちないかもしれないが……)。

うちの研究室も、松本研のような和気あいあいとした、お互いのことを尊重するような研究室にできたらな、と思うのである。

それに関連して、武蔵境の書店で見つけて購入した「ヒラノ教授の論文必勝法 教科書が教えてくれない裏事情」を読む。

定年退職されてからの怒涛の「ヒラノ教授」シリーズは内容の重複も多く、少々食傷気味であったが、この本は「論文を書くというのはどういうことか」という裏側が紹介されていて、これまでの本と違っておもしろかった(ただし、これまでの本を全部読んでいる人は、全てどこかで読んだことがある内容だと思われる)。

理工系の大学院に行ったことのない人は、たぶん研究室選択がそんなに重大なことだと思っていないかもしれないが、指導教員の選択(配属研究室の選択)は極めて重要で、研究室は自分の2-3年の大半を過ごすことになる場所なので、重々検討したほうがよい。学部を出たら就職する、あるいは外部の大学院に進学する、といった事情で1年しか滞在しない場合は、よほどハズレの教員に当たらない限りは、1年過ぎれば終わるので、そこまで深刻に考える必要はないが……。

ちなみに、上記の本でも、研究室選択に関して以下のように書かれている。

…学部生のうちに、指導を受けるべき教員に関して十分な情報を手に入れておくことが大事である。
 指導教員に選ぶべきは、
“新しくて面白そうなテーマを研究している教員、学内外での評判がいい(人柄がいい)教員、学生の面倒見がいい教員、学生に過度に干渉しない教員” である。
 このすべての条件を満たす人はめったにいないが、これとは反対の人、すなわち “古くてつまらなそうなことをやっている人、評判(人柄)が悪い人、忙しすぎて面倒見が悪い人、過度に干渉する人” は、避けるべきだ(このような人を指導教授に選んで不幸な目にあったら、責任の半分は学生にある)。
(pp.119-120)

とのことで、自分はこの観点からイケてるのかどうか、と胸に手を当ててみたり。まあ、一応自分でも気をつけていることと一致しているが……。(時間が十分取れていないことと、進捗が人によっては多いと感じるかもしれないところ、改善したいのだが)