ミーティング全てメモすることはない

12月の毎週火曜日は在宅勤務。毎週「自宅」に出張するという申請をして学部長印をもらうことになるのだが、これが自宅警備員というやつか(汗)

昼から B4 の進捗報告。うちの研究室の B4 生、4人中1人が査読付き国際会議に投稿済みで、もう1人は ACL Student Research Workshop または COLING に投稿できそうだし(できれば COLING にフルペーパーを投稿してほしい)、さらにもう1人も ACL Student Research Workshop には投稿できそう。毎年4人いるとだいたい2-3人くらいが翌年国際会議で発表することになるのだが、今年もそれを踏襲できそうである。

また大学院の受験の問い合わせや研究生の問い合わせが増えていて、1日に1-3件程度問い合わせがあるのだが、もう首都大に来てから7年目なので、なんとなく研究ができそうかどうかの特徴量が分かってきたので、研究計画書のやり取りをする段階で積極的にその特徴量を見ようとしている。どうも、人の話をほとんど聞かない人、あるいは人の話を聞きすぎる人、という両極端の人は(少なくともうちの研究室の環境では)研究がしにくいようである。

前者に関しては、うちの研究室は学生数が多くかつ教員とのやり取りの時間が限られているため、少量の教員からの教師信号と、大量の先輩・同期・後輩からの教師信号の両方をうまく活用できる人でないと環境が生かせない、ということに起因していて、周辺の学生と話をしない、あるいは教員の指示に従わない、のどちらかであると、なかなか研究が進展しないデッドロックにはまることがあるようである。もっと教員が多い研究室、あるいは学生数が少ない研究室(つまりどちらも相対的に1教員あたりの学生数が少ないという意味)であれば、必ずしも学生同士で助け合わなくても研究ができると思うのだが、うちはそうなっていないので……。

後者に関してはなぜこういう性質を持っていると研究につながらないのかよく分からないのであるが(ちゃんとメモしているのは偉いし、メモを全く取らない人は見習ってほしいとすら思っているので、むしろこの性質を持つ人は研究ができてほしい)、研究というのは結局選択と集中で取捨選択の決断をする連続なので、取捨選択しないで全部メモする(優先順位を自分では判断しない)、みたいな性格が研究向きではないのかもしれない。結局分からないなりに自分で責任を取って決定して先に進み、予想通りでなかったら戻ってやり直す、みたいな泥臭い試行錯誤が研究には必要なのだが、すでに正解が分かっていてやり方も整備されている「知の高速道路」を進めばいい勉強と研究とは違うということなのかもしれない。

もちろん、これはうちの研究室のスタイルでの研究(教員は手取り足取り教えないし、テーマも与えないので、学生が自発的に動かないといけないスタイル)が合わないのかも、というだけの意味であって、別の研究室なら問題ない研究室がある(例えば言われたことだけやっていれば、自分で考えなくてもしっかりした研究ができるところとか)ことは容易に想像できるし、研究以外(たとえば勉強だと決断しなくていいし、アウトプットではなくインプットが重要になるので、研究とは違いこれらの性格が問題にはならない)だと優秀な学生も多いので、うまくマッチングできたらいいのにな、と思っている(多分、ビッグラボで資金が潤沢にあり、かつ教員数も多いところだと、問題なく研究できそうな気がする)。

午後は学部実験に関する機材の見積もり作業。毎年なにがしかの見積もりを年中取っている気がするのだが、これがそれなりにやり取りが発生して地味に面倒くさい。個々の作業の時間自体は大したことがないのだが、契約まで数ヶ月単位でかかったりするので、常に脳内のメモリの一定量を占め続けるのがジワジワ来る。学生のころ、教授・准教授の人はなんでこんなに忘れっぽいのか? 年齢か? と思っていたが、脳内に保持しておかないといけない仕事が多過ぎるせいかな、と今では思う(TODO リストやリマインダを使って、覚えておかなくていいものはできるだけやる直前まで記憶から削除するようにしているのだが)。