YANS 2013 初日: 認知言語学と自然言語処理の接線

今日はこれまで1年間準備してきた ALAGIN & YANS 合同シンポジウムの初日。会場は東大本郷キャンパスで、どうやって行くのがよいか迷ったが、結局自転車で東小金井に置いて中央線で御茶ノ水まで行き、そこから東大構内行きのバス。実家にいたときは本郷は (というか駒場も) 遠いイメージがあったが、意外と近い。自転車を使う問題は、帰りに自転車をピックアップしないといけない (たとえば帰りは西武新宿線で帰ってくる、ということができなくなる) ことだけど……。

朝はプログラム委員の顔合わせ。これから2日間、どういう展開が待っているか分からないが、過去挑戦したことがない規模のシンポジウムになることは間違いないので、気を引き締める。

オープニングのあと、今井むつみ先生の招待講演。これまで何度か今井先生の本をこの日記でも取り上げてきたが、自分は最初の本を読んでから今井先生のファンで、言語処理学会チュートリアルの公募があったら地道に今井先生に一票入れたりしていたのだが、今回こうやって[twitter:@caesar_wanya] さん経由で招待講演をお願いすることができて感無量である。

お話はこれまでに発表された本、特に「ことばと思考」のダイジェスト版プラスアルファ、といった感じで、刺激的であった。

ことばと思考 (岩波新書)

ことばと思考 (岩波新書)

印象的だったのは、子どもが動詞の使い分けを学ぶとき、3歳ですでに使用する語彙の数自体は大人と同じに到達するのだが、そこから年月をかけて大人と同じように使い分けられるようになっていく、というもの。つまり、理解可能な語彙数を測定することが言語能力の判断に使われてきたが、本当は使用可能な語彙数を測定することが必要なのではないか、ということである。これは、単語一つ一つを理解することが言語の理解なのではなく、他の単語との関わりの中でなければその単語の意味を規定できない、という見方を反映したものである。(ちなみに、第二言語学習においては、年月をかけてもネイティブと同じように使えるようにはならず、母語の影響をずっと受ける、というのがトークの後半の内容)

自分の博士論文は語彙知識獲得に使われるブートストラッピングという手法に関するものであったが、基本的にカテゴリが1つの場合だけで実験していたので、今井先生のトークで言うところの個々の単語だけを見ていたような感じで、不十分であったと反省。やはり他の単語との関係を見ないといけないなぁ、と思ったのであった。(こっち方面の研究が今後できるとよいのだけど)

招待講演のあと、今井先生を囲んで[twitter:@niam] さんも合流してお昼を食べながらお話したのだが、この日記もご覧になったことがあるそうで、恐縮である。自分ももっと言語処理の外にもはみ出して行った方がいいのだろうな、と思ったりする。

あと、PhDは哲学博士でも書いたように、自分の工学的な手法についての博士論文に、言語学的な背景を書きこむとき、認知言語学の本もいろいろと参考にしたのだが、認知言語学の本は最近読んだ「言語学の教室」がとてもよかった。

言語哲学者を代表する野矢先生が、認知言語学者を代表する西村先生に、(認知) 言語学の諸問題をレクチャーしてもらう、というものだが、議論がうまくかみ合っていて (あるいは、かみ合っていない部分にお互い配慮があって) 味わい深い。敵対的な他流試合が実現してすごく野心的な対談が読める、というのも意義あることだとは思うが、やはりお互いの間に信頼関係、あるいは敬意がある対談は、読後感がよい。「それは納得できない」という意見があっても、なぜ納得できないのか分かるし、相手の立場も尊重した発言であったりするからである。(顔見知りだから、というのも理由の一つだろうけど)

思えば自分が科学史・科学哲学を専攻することになったのも、学部1年のときに野矢先生の「科学哲学」という授業を取ったのがきっかけだったのだが (それまでそんな分野が存在することすら知らなかった)、西村先生の授業も履修したことがあるので (何の授業だったのか、忘れてしまった)、対談のやり取りを読んでありありと光景が浮かぶようで、楽しめた。

しかしもう自分が言語学や哲学に興味を持ってから20年経つのか……時間の経つのは早いものである。