NAIST はみんなちがって、みんないい

一応有給を取得していたが、朝から京都に移動。6時からバスがあるので、バスで駅まで行けるとスムーズである (歩くと20分かかるし、スーツケースを持っていると相当面倒)。実家にいたときは、新幹線に乗るなら田無→高田馬場→品川と出ていたのだが、武蔵境から東京駅までは快速で乗り換えなし1本、35分ほどで、想像以上に楽であった。新幹線の中で作業するつもりが、朝早く起きたせいで睡魔に襲われてしまった (汗)

NAIST に行く途中、桃山御陵前で途中下車して京都に引っ越すときに大変お世話になった賃貸専門店のミナージュさんにご挨拶。結局桃山の UR に入ることになったので、ミナージュさんを通してお部屋を借りることにはならなかったのだが、嫌な顔一つせず、というかむしろ喜んで送り出してくださって、大変感謝している。自分の会社がどうかということより、お客さんのことを第一に考えていないとこういう応対はできないだろうし、自分も大学で働いていて、受験したいという学生がいたら自分の大学 (研究室) に入るかどうかではなく、その学生にとってどういう選択をするのがベストなのかを考えてそれを応援したいと思う。(結局大学への通勤のために高の原駅前の駐車場をお借りすることになり、こちらはたまたまミナージュさんの管理物件だったので、3月24日まで1年間お借りしていたのであった)

また、いつもお世話になっていたマッサージ店の Body Impact のみなさんにもご挨拶。添削祭りや出張帰りで肉体が疲労していたとき、いつも的確に凝っているところをほぐしてくれたのである (妻が京都にいたときは、夫婦で通っていたので、妻のことも毎回気にかけてくださっていた)。東京でもこういうお店、あるかなぁ。こういうお店って、スペースやセラピストの制約から受け付けられる人数が限られているので、予約しないと突然来てもすぐ案内してもらえないし、他の人にお勧めして自分の予約が取りにくくなると困るので、あまり他の人に教えたりしないのかもしれない (自分も、東京に引っ越すのでなければ、こういうふうに書いたりしないだろうし (汗))。

車を東京に持っていってしまったので、久しぶりに学園前駅からバスで NAIST まで。M1 の終わりに大学から徒歩20分で行ける学研北生駒駅ができたのでだいぶ便利になったが、自分が入学したときはこの近鉄学園前駅が大学の最寄り駅で、大学からバス30分かけないと外に出られなかったので、感慨深いものがある。しかも最終バスが20時くらいで極めて不便だったし。もっとも、大学まで徒歩10分ちょいのところまでは、24時過ぎまでバスが出ていたので、どうしようもないというほどではなかったが……。あと、この3月で NAIST 最寄りの「大学院大学」というバス停の名前が「奈良先端科学技術大学院大学」に変更になって、時刻表検索が面倒になった。そもそも奈良交通の時刻表検索システム、UI が壊滅的に使いにくいと思うのだけど……。

研究室に来てから英作文の文法誤り訂正タスクのミーティング。今回は、というか第7回目ミーティングにして松本先生が初参加。どういう風の吹き回しだろうか……(スタッフが2人参加するのはとてもよいことなのだけど)。メンバー全員複数のタスク (私的なことも含めて) を抱えているので、なにをやるかと同じかそれ以上になにをやらないかを決めることが重要なのであるが、キャパシティを超えてなんでもやりますと言ってしまう人、逆にちょっとやってくれればいいのに消極的な人、いろいろなパターンがある。もっとも、ひとりで手を広げ過ぎて全滅するよりは、「この仕事は誰もアサインされていない」という状態でそのとき余力のある人ができるほうがいいので、能力以上に積極的よりは、消極的なほうがよいのかもしれない。(とはいえ消極的な気持ちより積極的な気持ちのほうが明らかにパフォーマンスがよいので、積極的な人にやってもらったほうがいいだろうし、難しいところである)

夕方は研究科の教職員の送別会。今年度は定年退職される鹿野先生、湊先生の他に、関先生も退職されるので、修士のころからお世話になった方々が NAIST を去られる寂しい年である。

湊先生は自分が修士のとき特待生に採用されたご縁でいろいろと目をかけてくださっていて、飄々としたところがとても素敵であった。自分は学部のとき哲学科出身で、3年留年してぼんやり過ごしていたのであるが、いろいろなご縁で自然言語処理を研究しようと思って NAIST に来たので、そういう経歴の自分に対しても「それは愉快ですね。むしろそういう人がもっと NAIST に来てほしい」といったことをおっしゃっていて、懐の広さに感銘を受けたのである (自分も同意見で、山あり谷ありもっといろんな人生経験のある人が大学に来てくれるとよいと思っている)。あのとき特待生になっていなかったら (続く CICP という研究開発プロジェクトに採択してもらっていなかったら)、その後開発と研究と両方に片足突っ込もう、とは思わなかっただろうし、自分の人生のターニングポイントの一つで、大変感謝している。

鹿野先生は研究分野も近く、個人的には博士後期課程に進学するときの入試で面接を担当してくださったのが記憶に残っている。あのときは「博士号を取得したあと大学に残るつもりはないの」と松本先生と鹿野先生に言われ、ファーストでがんがん論文を書きたいわけではないのでそのつもりはあまりありませんが、学生になにか教えたり一緒に誰かとわいわいやるのは好きで高校や高専の教員ならありかと思うので教職免状を取得予定です、と答えたのだが、鹿野先生から「若いうちからそんなこと言ってちゃだめだよ。もっとファーストでたくさん論文書いてね」と苦笑されたのであった。ちなみにそのとき松本先生からは「教員だったら高校教員じゃなくて大学教員でも学生を教えられるし、教職もいらないから、大学で教員になるのはどう」「博士号を取れば産総研に行けるよ」等々のアドバイスをいただいたのだが、そのときは将来大学で教員をしているとは予想もしていなかったなぁ。(結局二重学籍を得て通信課程に入学してまで教職の科目を揃えようとしたのだが、研究と両立するのが大変で、教職の免許の取得は途中で断念したのだが……)

関先生も湊先生と同じく特待生関係でも面倒を見ていただいたのであるが、博士論文の副査を引き受けていただいたのが一番お世話になったことだと思う。博士論文のドラフトを丁寧に見てくださって、今回の引っ越しのときもいろんな書類をスキャンして廃棄したのだが、関先生にいただいたコメントは (もちろん他の審査委員の方々からいただいたコメントもだが) そのまま大事に箱詰めして新しいオフィスに送ったのである。また、関先生は NAIST の国際化担当でもあり、博士論文の審査委員に海外の方を呼ぶことができる (旅費等支給してもらえる) というプログラムでも支援してくださって、当時 Yahoo! Labs (現 Microsoft Research) の Patrick Pantel さんを奈良に2回呼ぶのにいろいろと調整してくださり、そちらもありがたかった (Pantel さんとは国際会議に行くたびに少し話すが、やっぱりこうやって近況報告できる人が世界中にいるのは嬉しいことである)。

送別会では実は自分も送られる側なので、いろんな先生方にお礼を言って回ったり。修士のとき授業を受けた安本先生や杉本先生に「授業が分かりやすく、大変感謝しています」と伝えると恐縮されていた (笑) ただ、それは自分の本心で、人文系からいきなり工学系に来て右も左も分からず、基礎科目が充実している NAIST はとてもありがたい環境であった。たとえば杉本先生の M1 の6月くらいの授業で「行列のテンチ」と言われて「はて、天地とは何ぞや」と疑問に思うくらい基礎知識がなかったのであるが、その度授業を止めて丁寧に説明してくださったので、その後ついていくことができたのだと思う。(情報系出身の同期からは「そんな低レベルのこと質問してんじゃねーよ」と思われていたのかもしれないが……) 安本先生も36歳のとき助教授で NAIST にいらしたそうだが、最初の数年は講義を軽く見ていたら学生の授業アンケートでいろいろ厳しいコメントをもらい、一念発起してかなり力を入れて講義を準備したところ、学生の評価が格段によくなった、というエピソードを教えてくださって、自分はちょうどその力を入れて1-2年経ったあたりに授業を受けた学生だったので、分かりやすいと思ったんだなと納得。自分も講義や演習はエネルギーをかけて準備したいなぁ (そうする余力を確保しないと……)。

退職する方にもスピーチを、ということだったので、自分もちょっと話をしてみる。基本的には去年の年末に書いたエントリの以下の話。

ファインマンが学部生を過ごしたMITに惚れ込んでいて、これ以上の環境はないと思っていて当然大学院もMITに進学しようと教授に相談したところ、教授 は逆に「きみはMITには進学させない。MIT以上の環境がない、と思うならなおさら、きみは外の世界を見てこなければならない」と外に出そうとして、 ファインマンプリンストンに進学することにした、というエピソード。

松本先生から外に出なさいと言われたわけではないのだが (むしろ「急いで出て行かなくていいんじゃないの」と何回もやんわり止められたくらいだが……)、あまり長くいると居心地がよすぎて離れがたくなってしまうので、適当なタイミングで出ることを検討したほうがいいんじゃないかと思う (学生のころから数えると、自分はもう8年目だったし)。

スピーチのあと、お世話になった職員の方々と特待生のときのこととかなんだとか昔話をしてしんみりする。「小町くんの話を聞いて、わたしも環境を変えたほうがいいのかなと思いました」との感想をお聞きし、さすがに常に仕事でなにか新しいことに挑戦しないといけない研究者とは違うかもしれないが、新しい趣味を始めてみるとか、いつも行かないところに旅行してみるとか、日常に少し変化を加えるといいのかなと思う。小町くんは特待生らしい特待生だったので、栄転されるのは嬉しいです、とのお言葉をお2人からいただき、身に余る光栄である。いま NAIST では特待生制度は廃止されたが、特待生といって特定の人を取り上げなくても、濃い人がたくさん集まっているので、学生全員が応募できる公募の研究開発プロジェクトもあるし、NAIST の学生全員が特待生のような感じでがんばってくれればなと期待している。

夜、NAIST を受験する前からメールでけっこうやりとりしていた方と生駒でご飯。結局いろいろ事情があって NAIST には入学されないことにしたそうだが、相談に乗ってもらったお礼も兼ねて直接お話がしたい、とのことで、職場も大阪でいま大阪に住んでらっしゃるそうなのだが、生駒までご足労いただいたのである (さすがに自分も大阪まで往復する時間がないので……)。メールでもだいぶやりとりしたので分かっているつもりだったが、直接話してみるとやはり違うなぁ。自分もあまり他人に勧められる道を歩んできているわけではないが (偶然や人のご縁で助けられてばかりなので)、素直で真摯に目の前の仕事をやっている人には、いい出会いがあるものなのだと思った。まだまだ自分が NAIST に入学した年より若いので、いくらでもやり直し (というほど「直し」ではないが) はできるし、やりたいと思ったことがすぐできるとは限らないが、何年もかけて少しずつ動いていく (周りを動かしていく) ことはできるので、焦らず気長に取り組んでいかれるとよいなと思う。