ふとしたご縁を大切にすることが大事

昨日 iPhone 4 の再契約をして安心したのか、携帯を家に忘れてきてしまった。12月からまた数ヶ月京都と東京の別居生活になるので、2年間家族通話が無料になる iPhone 5 の乗り換えキャンペーンを利用して契約したのである。

昨晩ふとテレビを見ていたら、学部の卒論の指導教員であった岡本拓司先生が民放のバラエティ番組のノーベル賞特集に出演されていて、びっくりした。お元気そうでよかった。

自分の卒論のテーマは「台湾植民地期の言語政策」というもので、最初は旧帝国大学について調べていて、京城帝国大学台北帝国大学の資料を探して岡本先生のところに相談に行ったら、「ああ、それなら一応昔コピーしたものがありますよ」と研究室の一角に無雑作に積まれた段ボールから、一連の台北帝国大学に関する資料をいただいたのであった (台北帝国大学に関する資料は、実は台北帝国大学を引き継いだ国立台湾大学だけでなく、日本にもけっこうある)。

その後植民地時代の言語政策をテーマにすることに決めると、特別演習の授業をするため毎週駒場にいらしていた植民地科学を専門とされる日本大学の加藤茂生さん (現在早稲田大学) を紹介してもらい、実質的に卒論を何回も見ていただいたのは、加藤さんということになる。その後岡本先生から「これは卒論にするだけではもったいないので、論文誌に投稿しませんか」とお誘いいただき、「科学技術史」という論文誌に掲載してもらうのだが、今考えると卒論にも論文誌にも謝辞を書かなかったことが悔やまれる。工学系の論文の書き方は NAIST に来てから一から教えてもらったが、人文系の論文の書き方、研究テーマの設定の仕方は少なくとも岡本先生と加藤さん、そして小松美彦先生 (現在東京海洋大学) から教わったものであり、決して自分一人で書いたわけではないからである。

とはいうものの、ほとんどの人にとっては、卒論あるいは修論あるいは博士論文は、人生で唯一の単著 (工学系の研究者として研究を続けるにしても、単著で何かを書くのはだいぶ先) なので、指導教員が何と言おうと譲れないものは譲らなくてよいし、持てる限りの力を注ぎ込んで、悔いのないように書き切ってほしい。

午前中は M1 の学内実習のミーティング。実習としては一区切りすることにして、今後の予定を決める。結局実習終了後も継続する (来年の言語処理学会年次大会投稿を目指す?) 人は3人かな。まあ、いつもこれくらいの人数だとちょうどいいかも……。M2 でまだ対外発表していない人が6人いるのだが、松本研では基本的に修士を出るまでに1回くらいは対外発表すること、となっていて、合わせると博士の人を除いても最低9件、ということになるのだが、今年は近いのでもっと M1 の人がたくさん行っても (旅費的には) 大丈夫なのかも。

午後は原稿執筆と身の回りの整理。先週から今週にかけて体調不良で進んでいないのだが、少し書いては単純作業、という感じで一進一退。

そういえば、応募していた公募の通知が郵送で届いた。書類選考にて不採用。去年は講師、今年は准教授の公募に出しているのだが、去年も待てど暮らせど書類選考でだめで、びっくりした。面接に呼ぶ段階でだいぶ絞っているのであろう。ちなみに、大学の教員公募だと、応募の段階では「意見を伺える方数名の連絡先」だけを書いて、書類1次通過の人だけ推薦状を後日提出、というのがよくある。毎回推薦状をお願いしておいて落ちるとなんだか申し訳ないので、こういう形態のほうがいいと思う。

松本先生も「再任も使って任期いっぱいまでいてくれて全然かまわないし、そんなに急いで出ることはないのでは」とおっしゃってくださっているし、松本研の研究環境に不満があるわけではなく、恐らく自然言語処理の研究をするなら日本で随一の研究環境だと思うので、基本的にはずっと居続けてもいいなと思っているのだが、自分の希望条件に合う公募が出た場合は応募していたのであった。大学のポストはいつ空くか全く分からないし。定年で空くポストは予測可能であるが、同じ研究分野の募集がかかるとは限らないので……。

そういうわけで、ガチ公募以外は出していないのだが、縁もゆかりもないところに通るのは全然甘くない。書類を用意するのも大変だし (大学によってけっこう違う……)、自分が今後どういうことをしたいのかはこの数ヶ月考えて分かってきたので、しばらく公募に出すのはお休みするつもりである。