産みの苦しみから産み続ける苦しみへ

品川から京都に移動。三連休の初日のせいか、昼間のひかりなのに半分くらい人が乗っている。いつもは1車両に1桁しか乗っていないのだが……。

先日[twitter:@overlast]さんからいただいた (献本感謝!) 『「レベルアップ」のゲームデザイン』を読み終える。

「レベルアップ」のゲームデザイン ―実戦で使えるゲーム作りのテクニック

「レベルアップ」のゲームデザイン ―実戦で使えるゲーム作りのテクニック

自分も相当テレビゲームをやった方なので、ゲームのデザイン方法を知るのは興味深かったが、紹介されている作品が基本的に北米のゲームなので、あまりピンと来ない。ゲームを作る人の評価は高いようなので、実際作りたい人は参考になるのかもしれないが……。(考え直してみると、たとえば語学学習ゲームを作ろうと思ったら、多少参考になりそうなことは書いてあると思ったが、対象として想定されているゲームが北米中心のアクション系が主なので、やっぱり微妙に違う)

ゲーム好きが高じて小学生〜中学生のころはゲームを作ってみたいと思っていたのだが、プレイステーションが出たあたりで、ああ、ここまでハードが進化すると、自分の手に終えるものではないな、と思って断念したのであった。

結局ゲームもやるのと作るのとでは大違いで、作るとなると考えなければならないことがたくさんあり、自分が楽しいだけではいけなくなったりして (もちろん自分が楽しむことも大事であるが)、気楽に作るというわけには行かないのであろう。

それに関連して、最近読んだ「同期生」というエッセイがおもしろかった。

一条ゆかりもりたじゅん弓月光という3人の少女漫画家は、集英社の漫画賞同時に受賞した同期生で、年齢もほぼ同じなのだが、三者三様で漫画家として成長していくそれからの40年の自伝であり、圧巻。

逆境をどういうふうに乗り越えてきたか、という話もさることながら、もりたじゅんの2回目の引退に関する話も涙である。夫の本宮ひろ志のプロダクションの運営や、才能がないときどういうようにしたら回るようになるか、といった話は、漫画だけではなく仕事一般に通じる話のように思う。基本的には自分より何らかの点で優れている人をアシスタントにし、積極的に彼ら・彼女らをデビューするよう売り込んでいくそうである。(「プロアシスタント」として出戻ってくる人もいるようだが)

こういう話を読むと「大学論」のことを思い出す。

大学論──いかに教え、いかに学ぶか (講談社現代新書)

大学論──いかに教え、いかに学ぶか (講談社現代新書)

研究の仕方を教えることで何を教えられるかでも書いたが、結局漫画なり論文なりゲームなり、なにかを生み出す人を育てるというのは、ある程度まで能力を身につけさせることはできるが、そこから先は七転八倒、自分で道を切り拓くしかないのだろう。

上記の「同期生」でも弓月光が「最近は漫画家になりたいという人が増えているが、おかしいのではないか。漫画を描きたいというのが先にないと、一発屋で終わるだけではないか」という話を書いていて、確かに一回成功するのが目的なのではなく、ずっと継続することが大事だなぁと思った次第である。