博士課程で3年間みっちり研究した人は強い

朝、tooru-h さんの博士論文 (ドラフト) に目を通す。100ページ近い英文だが、けっこう大変だろうなぁ。自分が書いていたときのことを思い出したりする。

昼、tooru-h さんの公聴会。M1 の人たち含め、10人以上集まって盛況であった。話も分かりやすかったし、博士論文の説明としてもお手本的であった (たとえば、やったことはたくさんあっても、今回はこれとこれだけ話します、と断って、フォーカスを絞る代わりにちゃんと内容に踏み込んで話すのなんかは、よい習慣だと思うのである) し、とても参考になった。

[twitter:@Prof_Nakamura] さん、[twitter:@neubig] さんたちからも質問があり、松本先生や自分、[twitter:@shirayu] くんからも質問・コメントがあり、いろいろ盛りだくさんであった。D の人たちは自分が X ヶ月・Y 年後にやることなので、よく覚えておくとよいと思う。

終了後 tooru-h さんといろいろと話したが、企業もいろいろと厳しくなってきているようで、どこも景気のよい話はないみたいだ。

話は変わるが、最近修士で入学してくる学生が、博士に進学しても大学教員になれる保証もないし、博士号は企業の研究所に就職すれば社会人博士として取得できる、と、リスクを嫌って就職することが多いのだが、この風潮はよくないのでは、とここ数ヶ月考えている。

というのは、確かに企業の研究所でも、研究できる環境のところはあるし、社会人博士を取らせてくれる (資金的に援助してくれる、という意味ではなく、在学中は異動させないとか、有給を取らせてくれるとか、そういう「博士号の取得を邪魔しない」という意味かもしれないが) 企業もあるし、博士号取得を目指すだけならそれもありだと思うが、(最低) 3年間をどっぷり研究に使うというのは、出口の見えない研究で苦しむ時間も含めて、とても貴重なことだと思うのである。

助教になってから、博士に進学するかどうかのバイアスを与えないために、あえて行ったらいいとも行くなとも言わないでいたのだが、ちゃんと研究能力を養える環境であれば、進学するのは全然悪くない選択肢だと思う。もっとも、そこそこお金がほしいだとか、それなりの肩書きがほしいだとか、そういうのはたぶん期待できないので、自分の限界に挑戦したい人は、博士後期課程で研究に打ち込むのは、一個突き抜けるにはよい手段の一つである、というだけのことではあるが……。

夕方、国内ワークショップ原稿の添削。昨日今日と LaTeX を久しぶりに使っているのだが、MacTeX 環境を TeXLive にした関係で、うまく (日本語入り) eps が処理できなかったりだとかして、LaTeX について調べたり。いろいろとバッドノウハウすぎてあまり立ち入りたくないのだが……(GentooTeX 周りのパッケージのメンテナをしていたときも、ビルドにやたら時間がかかるは、インストールされているパッケージやインストールの順番によって挙動が変わるは、パッケージャ泣かせであったことを思い出す)

夜、国際会議の原稿 (目次) にコメント。朝いただいたのにこんな時間まで見られないとは、なんだかちょっと忙しいにもほどがあると思う。あまり忙しい忙しいと言っていてはよくないが、こうやって日記が更新できるほどには時間ができてきたので、改善には向かっているような気がしている。