ぼくは研究ができない

24時間ごとに抗生剤を飲まなければならないということで、なんとか這って起きてきてご飯を食べ、抗生剤を飲む。どうやらまた乾燥で喉をやられたようで、トローチをなめたり。目の奥が痛いので、風邪なんだろうなぁと思い、家でじっと過ごす。

そうはいっても家の中のことはしないといけないわけで、洗い物をしたり、新書と文庫のスキャンをしたり。ひとまず家にある新書と文庫は全部スキャンできたようだ。2日間で120冊。1時間12冊として10時間。前見積もったときは20時間以上だったので、悪くない。しかし、この自炊 (裁断+スキャン) という行為は本質的に不毛で、やっていると徒労感しか感じないので、他の人にお勧めできるようなものではないと思う (本が多くてやらざるを得ない人を除く)。

最初に見かけたのはどなた経由か分からないが、最終的には [twitter:@kur] さんがツイートしていたのがきっかけで、僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかったという翻訳記事を読んだ。高校生の投稿に対する MIT の教員の返信なのだが、返信の部分が胸に沁み入る。

微分方程式に半学期悩まされたあと、プライドを捨ててようやくRのところへ助けを求めに行きました。確か彼は私の教科書を一晩借りて復習して(彼は小学3 年生からの全ての授業内容を憶えているわけではない)、その後、私の分からないところをひとつひとつ丁寧に解説して教えてくれました。その結果、学期末に 私はB+をとり難を逃れることができました。ここでひとつ大切なことがあります。それは、彼が教えてくれたことのなかに、頭の回転が早くなければ理解でき ないことなどひとつもなかったということです。

若いと変なプライドが邪魔することが多々あるのだが、そういうプライドはできるだけ若いうちに捨てておいたほうがいいように思う。百害あって一利無し、というのはそういうもののためにある言葉だ。壁にぶち当たって、それまでの自分が否定され、自分の能力不足を認め、それを乗り越える、そういう過程が必要なのだが、どこまで行っても自分の能力不足を認めないでいる、という人もよく見かける (自分も人のことは言えないけど……)。

以前紹介したことがある、日本から MIT に留学した人の話も、基本的には留学してからの挫折と、それを乗り越えるということで、日本の大学で優秀なんてのは全然役に立たないのだ (ある意味正しい)、というところから、プライドも捨てて、自分が優秀でないことも認めて、そこからスタートして、日本でやってきた努力は無駄ではない (これも正しい)、自分もやればできるのだ、というところに戻ってくる、そういうサイクルがある。こういうように、できない自分と向き合って、そこから這い上がってきた人、そういう人は強いなと思うのである。

また、[twitter:@hikita] さん経由で 優秀な君たちに考えてほしいこと 評論家・山形浩生さん という記事を知る。書いてあること、あるある、と思って読んでいたが、山形氏は麻布出身だったか。なるほどな〜……。

大学に入って選択肢が広がって、すぐに目先のつまらないタコツボにはまってしまうやつら。頭がよいが故に孤立してしまい、つぶれてしまう人々。優秀すぎる が故に浮き世離れした発想にとらわれて自滅した先輩。ますます多くの仲間たちは、自分の置かれた狭い立場しか見ないようになってきた。日本をよくしたいと 思って官僚になったはずの仲間が、いつの間にか自分の役所のせまい省益しか見ない発言をしていた。

自分も耳が痛い。中学や高校のころのように、(他人のことではなく自分のことだけをひたすら考えている) 純粋な心というのはすでに失ってしまい、それと引き換えにたくさんのものも得た訳だが、挫折するのは全く悪いことではないし、壁に当たるのは人生につきもので、要はそこでふんばること、自己嫌悪にいくらはまってもいいので、適当なところで自己嫌悪に時間をずっと使うのは止めて少しずつでも前に進んで行くためにエネルギーを使うこと、そういうしぶとさが生きて行く上で大事なんだとしみじみ思う。

そういう意味では、自分にとっては学部3年生のときシドニー大学に1年間行ったのが、よかったと思うのである。英語が通じなくて、最初は友人もできなくて、本当に苦しかったが、少しずつ友人もでき、最後には授業で1人だけ優 (High Distinction) をもらったり、レポートが優秀だから来年使わせてほしいと先生に言われたり、しんどかったが時間を費やして本気で取り組めばなんとかなる、ということが分かった1年だった。

みなさん会話で英語が通じなくて意気消沈している方も多いと思われるが、自分は受験生時代語学は得意科目だったので英語には多少自信はあったものの、そんなものは全く役に立たず、話すのも聞くのも不自由、読むのはまだしも (それでも新聞を読んだら1ページに20個以上知らない単語が出てくる) 書くのは全然だめ、という塩梅で、それまでやってきた勉強はなんだったのか、とオーストラリアに行ってから最初の2ヶ月弱は毎晩しくしくと泣いていたのだが (←これは本当……ときどき昼間に泣いていることがあり、そのときは大家さんも心配してくれた)、あるときなぜか気持ちが切り替わって、どうせ自分は頭もよくないのだから、諦めてできることからやっていこう、と思うようになってから、少しずつ友人もできて楽しくなっていったのである。いま思っても、あの壁を乗り越えられなかったらどうなっていたのかと、ちょっと怖いのだが。