答えのある問題を解けばいいのは大学受験まで

Mac mini で Lion に切り替えたので、家の環境も寝る前に Lion のインストールを仕掛けておいて起きたら終わっていた。Air Display が対応していない以外は普通。

腰の張りが回復しない。今年の3月くらいからマッサージクッション

ルルドマッサージクッションブラウン AX-HL148br

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を使っていて、もみ具合といいなんといい、かなり満足している (1時間のマッサージで払うお金があれば買える) のだが、これだけでは回復しなくなってきた。そろそろ職場の椅子を考えないと……

ワークショップの査読。secondary reviewer といって、査読する人を追加で募集したのだが、けっこうコメントやスコアが厳しい……。もうちょっと benefit of the doubt というか、相手の事情も考えてあげていいような。以前学部生の試験の採点をしていたときのことを思い出した。

間違っていることを指摘してスコアをつけるのは (比較的) 簡単だが、じゃあどう直せばもっといい点をつけられるかを説明すること、そしてどこに着目すれば自分で直せるようになるかということを伝えること、こうなってくると簡単なことではない。他人に厳しく自分に甘くならないよう、「これは仕方ないかなぁ」と思ったことは多めに見て、「ここは少なくともちゃんとしたほうがよい」というところを的確に伝えるのは難しい。そもそも人の仕事に厳しい点数をつけられるほど自分ができているわけでもないし……

駒場にいたとき野矢先生が試験問題について「前回の試験では、知っていれば解ける、知らなければ解けない問題を出題してしまいました。そういう教員の頭の中にある正解を答えることが期待されるようないやらしい問題を出すのが許されるのは高校までで、大学では教員の頭の中に正解がないような問題を出さねばいけません」ということをおっしゃっていたのを思い出した。うろ覚えだが、答えがない問題を採点するのはしんどいが、自分の想像を超えるような回答に出会うこともあり、そういうとき教師冥利に尽きる、というようなことを話されていたと思う。もし自分がこれに付け加えるとしたら、「問題を与えることが許されるのは大学までで、大学院では自分で問題を見つけられるようにしなければいけません」という感じだろうか。