生涯ホワイトボードを前にして、みんなでわいわい書き込んで議論していたい

午前中、ミーティングの予定だったがキャンセル。急遽勉強会に参加。聞いたことない話ばかりだったのでおもしろかった。

情報処理学会全国大会の招待状的なものをもらったと思うのだが、どこかに行ってしまった……。ばたばたと探してみたが見つからず、午後@takahi_iさんと京都に移動。ちょっと乗る予定だった新幹線を送らせたので iPhone で変更を試みるが、Opera Mini でもだめ。仕方ないので MacBook Air + Pocket Wifi で変更しようとするも、Pocket WifiDHCP を配ってくれないので接続できず。なんで〜 結局 takahi-i さんに e-mobile を借りて接続したのだが「もう変更できる時間を過ぎたので変更できません」と言われてしまう。むむ、無念……

結局同じ日の新幹線であれば自由席には乗れるようなので(こうなることを見越して IC 早得ではなく通常の EX-IC にしておいた)、自由席で京都から品川へ。普通に座席確保できた。新幹線、誰かと乗るのってものすごく久しぶり。かれこれ3年ぶりか。いつも一人でぽつねんと坐っているので、旅に道連れがいるというのはよいことだと思った。お疲れさまでした〜

夜、駒場科学史・科学哲学研究室にいたときお世話になった村田純一先生の退職記念パーティに参加。もっと若い人たちが集まる会かと思いきや、平均年齢確実に50歳超えているだろう、という感じでびびっていると、@ryouuueharaが来てくれたので一安心。他にも懐かしい面々にご挨拶できて、よかった。

村田先生の仕事を自分視点で紹介すると、恐らく一番有名なのは現象学、あるいは「色彩の哲学」などの知覚論であるが、自分が学部にいたころはよく「技術哲学」のお話をされていて、それがいま工学系の研究を自分がしていることにも多少影響を与えている。

「技術の哲学」というなんだか難しそうに聞こえるかもしれないが、要は「技術とはなんぞや、ということについて徹底的に考える」ということである。たとえば「技術は科学の応用なのか」という問題や、「技術が社会のあり方を規定するのか、あるいは社会が技術のあり方を規定するのか」といった問題を議論するのである。FacebookTwitter が政治運動につながっていく昨今の世界情勢を見ると、「技術的に可能なことはやっていい」というあっけらかんとしたエンジニアが多いが、開発だけ取ってもいろいろ考えないといけない事項は多いのではないかと思う。

技術の哲学 (岩波テキストブックス)

技術の哲学 (岩波テキストブックス)

↑@ryouuuehara から「最近哲学の本は最初しか売れないので1冊でも売れると嬉しい。なかなかロングセラーになる本はない」と聞いたので、リンク張ってみる。

さて、村田先生はまだ数年定年まであるはずだと思ったが、どうも定年を前にして次の職場に行くことにしたようで、実はパーティ前には「最終講義」に相当する「村田哲学を批判する会」があり、盛大に盛り上がったらしい (笑) 言いたいことがあるなら退職する直前じゃなく、もっと前に言ってあげればいいんじゃないか、と思うのだが、去る者にも容赦しないのが哲学の人たちらしくてなんか可笑しかった。新天地でも研究に教育に活躍できるよう、手加減なく叩くのが餞の言葉なのであろう。

K村さんやS谷さんと大学の教員の仕事のお話をお伺いしていろいろ考えさせられる。哲学自体で世の中に必要とされることはあまりなく、レポートの書き方だとかそういう基礎演習的な授業で役に立つのだが、近年の学生は10行以上の文章が読めず、レポートを書かせたら3カ所くらいからコピペしたものを出す、などなど。東大生を相手にするのとは全然違い、こういう状況でも教員をしなくてはならないという苦労(苦悩)をお聞きする。学生は日東駒専レベルなので、普通に高校生活送って普通に進学する人たちの日本語力がそれくらい、ということなのだろうが、大変だなぁと人ごとではなく思う。学生が作文方法を学ぶインセンティブとしては、就職のときエントリーシートに作文しないといけないので、必修ではない授業なのにほぼ全員履修するのだとか。

NAISTの学生でそんなに日本語を書くのに苦労しているネイティブは見たことないので、やはり入試で小論文を書かせるだけでもあまりに問題がある人は分かる、ということなのだろう。今後学生数も減って行くだろうし、どんどんそういう学生の割合が増えて行くのだろうけどな〜

パーティの最後、娘さんの「家では誰も哲学の話を聞いてあげる人がいないので、みなさんお父さんと哲学の話をしてあげてください。どうぞよろしくお願いします」というスピーチで拍手喝采 (笑) だったが、村田先生の締めの言葉もうるっときた。西田幾多郎という有名な哲学者の、これまた退官するときのスピーチ「或教授の退職の辞」からの引用だが、

回顧すれば、私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向って一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである。

という一文を引いて、「自分の人生も黒板を前に一回転しただけかもしれません。ひょっとしたら、一回転もしていなかったように思います。教師としては失格かもしれませんが、ずっと黒板の前にいて、学生のみなさんと考えて、同じ目線で哲学に取り組んできただけのように感じます。これからも、みなさんと一緒に考えていきたいと思います」という言葉にじーんときた。
1回目の4年生(という表現も変だが)は村田先生を卒論の指導教官にお願いすることになって、村田先生のご自宅にお電話差し上げたこともあるのだが、「小町さんのやりたいことを聞かせてください。それで一緒に考えましょう」と研究室でおっしゃっていたのを思い出す。哲学の教員は変わった人が多いのだが、数少ない普通の人だったので、自分も村田先生の前では緊張せずいろいろな人生の相談ができたように思う。出身中高も一緒なので、親近感があった、というのもあるけど、今日村田先生は中2からの編入だったと聞いてびっくり。そもそも中途の編入制度があったとは!

今年はいろんな先生方が(早期にされる方も含めて)退職されるので、自分の中で一つの時代が終わっていくような寂しさを感じる。少しずつ、これからの時代を作る世代に自分たちがなるのだなぁと思っている。