看護師不足を手遅れにしないために

結局昨日は予定の新幹線を1時間早め(それでも京都着30分遅れだったが)高の原駅から普段なら15分のドライブのところを1時間20分ほどかかって帰宅。雪恐るべし。

今日は午前中から午後にかけて、修士論文発表会x4。あまり荒れずなごやかな感じ。今年は ustream でライブ中継されているらしく、共同研究の都合などで中継してほしくない人は事前に連絡するというオプトアウトな中継がされていたのだが、常時10〜30人くらい見ているようだ。こんなに需要があるとはびっくり。

チョコレートあげたりもらったり。論文執筆やスライド作成でお疲れのみなさまにお渡しする。[http://d.hatena.ne.jp/mamoruk/20100215/p1:title=去年も書いたことがある]が、男子校に通っているとバレンタインデーというものの存在が架空のもののように思えていたが、NAIST に来てから分かったのは、バレンタインデーというものはどうやら実在するもののようである。

最近読んだ「看護崩壊」という本、いろいろと考えさせられる。

たとえば、冒頭

「職場では看護師が流産するのは当たり前と思っている」
[...]
実際、看護職の3人に1人が流産しかかっている。

というショッキングな話で始まる。ただし、看護師でなくてもバリバリに働くキャリアウーマンなんかは職種に限らずそうだろうが。

また、この本にも書かれているように、「あんた今年子ども産んでいいよ (結婚していいよ、というバージョンも)」と師長から言われたり、出産とか結婚は看護師のシフトを考えて師長が言い渡すところも少なくないそうで(職場にもよる)、一人っ子政策は子どもを産むという基本的人権の侵害だ!と中国を批判するアメリカも真っ青の産児制限である。夜勤がデフォルトで月8回あるなど、20代など若いうちはよいが、過酷な職場であることは間違いない。(NAIST の学生は言われなくても夜勤状態の学生がたくさんいるが、年を取ると段々徹夜が無理になってくる)

医師不足など医学の問題はよく取りざたされるが、看護学の問題に取り組んだ本はあまり一般書で見かけないので、こういう看護の社会的側面を描いた本が出てくるのは歓迎することだと思う 。最近まで自分には看護学は医学に含まれるようなイメージがあったのだが、看護学は医学と相当性質が違う学問のように思う (医療と看護の違いに対応するのだろう)。医学ばかりに社会的な注意が向かい、看護師不足が問題視されていないというのは由々しき事態なので、こちらも取り返しがつかなくなる前に歯止めがかかるとよいのだけど、と思っている。