修士論文に期待するもの

本日は修士論文の提出日。運の悪いことに2月の博士の入試を受ける人は今日が願書〆切らしく、ダブルで大変なことになっている人たちもいるようだ。

でも時間内にみなさんつつがなく提出されたようでなにより。どうもお疲れさまでした。

教員になって初めての修士論文シーズンだった。これまでは観客席、あるいは舞台にいたが、今回は初めて舞台袖でやきもきする(笑)側に。いろいろ思うところあり。でもみんなこのシーズンに飛躍的に伸びていくのを見るのはおもしろい。短い間だからこそがんばれるのだろうが、添削の往復で少しずつ論文がよくなっていくのは楽しいものである。

確かに最終的にできる論文(研究)も大事なのかもしれないが、論文を書くことで周囲の人たちとやり取りして成長していく、自分ができていないところに気がつく、そういうことが論文を書く意義であって、自分が期待するのはすごくしっかりした論文そのものではなく、そういう論文を書こうと努力することで、なにがしか得るものがあってほしい、これからの人生で論文を書いた経験が懐かしい思い出になってほしい、そういうことなのかなと思う。

@1T0Tさんの文、伊藤研究室への配属志望学生の皆さんへを読む。いい話やな〜。こういう先生がいる研究室は、いいところだと思う。(男性は残念ながら行けないけど(笑))

夜、この4月からNAISTに来るという人からのメールにお返事。確かに来る前は自分も不安だった。来てからも不安になることもあった。最近は、あまり不安はないかな。404 Blog Not Found の記事、たまたま目にして「なるほど」と思った。

プログラミング「を」仕事にしようとする人は筋が悪い。求められているのはプログラミング「で」仕事をする人

ということ。NAISTに来る人も、プログラミング勉強しなきゃ、とか、数学どうしよう、とか、あるいは理工系の人だと英語どうしよう、とか思っている人たくさんいるだろうが、「数学を仕事にする」「プログラミングを仕事にする」「英語を仕事にする」って人はほとんどいないわけで、やるべきは「数学を使って仕事する」「プログラミングして仕事する」「英語で仕事する」ってこと。

仕事というのは、誰か他の人が喜んでくれることをする、ということで、それに必要なら数学を身につけるだろうし、プログラミングを学ぶだろうし、英語を使うだろうし、誰かの助けになることをする、というところがブレなければ、個々の技術やツールを必要以上に恐れることはないんじゃないかな。

工学の修士(博士)論文なんかもこれと同じで、「修士論文の書き方を教える」なんてことはなく、「修士論文の書き方で(社会に出たら直面するであろう問題の解き方なり、他の人と一緒に働く間合いなりを)教える」ということである。現実の問題への立ち向かい方を伝えるのには、論文でなくても、たとえば一緒にオープンソースプロジェクトをしたり、インターンに来てもらったりするのでも伝えられるだろうが、研究は研究で悪くないと思う。ま、意欲があるならいろいろ挑戦してみるとよいと思うが、人生短いし、ときには自分を追い込んでみるのもよいと思う。

その後、学生の推薦文を書く。英語で書いたことないよな〜と思っていたが、そういえば去年も1回書いたな……。