光あるところに陰がある

リンの代わりにヒ素をDNA中に取り込む微生物が見つかったというニュースが Science に発表されて先日話題になっていたが、発見のインパクトがまとまっていて分かりやすい。DNA は炭素(C)、水素(H)、酸素(O)、窒素(N)、リン(P)の5元素からなり、例外はなかったのだが、このうちリンの部分がヒ素(As)でもよいという生物が見つかった、という話。生物学の教科書が書き変わるくらいの発見だと思う。

DNA の二重らせん構造の発見は1953年のワトソンとクリックによる論文が世紀の大発見だったのだが、その裏にはロザリンド・フランクリンという女性科学者がいたことは広く知られている。この女性科学者が不当に低く評価されている、ということは聞き及んでいたが、自分も彼女がX線技師程度にしか思っていなかった。しかし「ダークレディと呼ばれて 二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実」を読んで認識が変わった。

ダークレディと呼ばれて 二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実

ダークレディと呼ばれて 二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実

ワトソンの「二重らせん」という本ではヒステリックで服装にも無頓着、不細工な女性という描かれ方をしていたのだが、本書によるロザリンド・フランクリンは、二面性あるものの、快活で饒舌な面も持つ生き生きとした人物像が描かれている。
二重らせん (講談社文庫)

二重らせん (講談社文庫)

結局のところ、ワトソンとクリックの発見にはフランクリンの撮影した明確なX線写真が決定的な役割を果たしたことは本人たちの回想にも明らかであるが、その入手経緯が倫理的にどうだったのか、というグレーな事実が書かれていて、ここまで詳しく知らなかったのでびっくり。つまり、フランクリンが(実質的な)指導教員になっていた博士課程の学生に当該の写真を見せていたのだが、その学生が(公的な指導教員の)副研究科長のウィルキンスにその写真を報告し、ウィルキンスがワトソンとクリックに(フランクリンおよびその学生に無断で)写真を見せた、というのがその経緯。

また、フランクリンがこの写真を取るに当たって調べ上げた綿密なデータ(これはワトソンとクリックが模型を作って二重らせん構造を決定するために必要だったパラメータ)が書かれている、一般的には公開されていなかった報告書もワトソンとクリックが(自分たちが DNA の研究をしていることを隠して)入手し、発表にこぎつけた、と。

確かに DNA の二重らせん構造の解明にはいろいろな不運(特に人間的な)に巻き込まれてしまったというのは残念なことだが、DNA の研究の前に取り組んでいた炭素の研究と、DNA の研究のあとに取り組んだタバコモザイクウイルスの研究どちら単独でもものすごい研究成果を挙げていることが分かる。37歳で世を去るまでに Nature に4本(自分でカウントしたので数は正確ではないかも)を含む30本以上の原著論文というのは相当な研究者であると思う。これは技師という言葉はあまりに不適当で、自分で NIH からファンドも取ってきているし、博士課程の学生を含めた研究グループも組織しているし、いまの言葉で言えば普通に PI (Principal Investigator: 研究プロジェクト主宰者)であって、あまりにワトソンとクリックの話の影に隠れすぎているな、という印象。

最初から最後まで読んでみて、本人はそんな賞なんかどうでもよくて、ただしっかりした研究を、データに基づいて、(ワトソンやクリックのように裏付けのない飛躍した発想をせず) 着実と実験して証明していきたかっただけなんだろうな、と思う。彼女にあと20年あれば、もっといろんなことができただろうに、世の中は平等にできていないのだな、と思ったりする。

自分は元々科学史・科学哲学のバックグラウンドなので、こういう権力闘争的なものは研究の種であって、以前なら興味津々であれこれ詮索したのだろうが、いま自分が論文を書く立場、研究を回す立場になってみると、実際どういう気持ちで論文を書いたり研究費を取ったりしているのか分かるので、見え方が変わってきた。中に入ってしまうとミクロなものしか見えないし、外から見るだけだとマクロなものしか見えないわけで、両方に足を突っ込んでいる自分だからこそできるなにかがないか、と考えさせられた。