「日本語の研究というのは日本語教育に役立たなければ意味がない」

半徹夜で水曜日のスライドを仕上げる。もうちょっと練りたいのだが、キーボードを叩き始めるとあまり推敲できない。やはり口頭発表にせよ論文にせよ、ノート(メモ)を前に手で書いているときがいちばんストーリーを作るのに役立つし、その段階が一番楽しい。(PowerPoint で作り始めたり LaTeXコンパイルしたりしてしまうとそれっぽく見えてしまうのがよくない)

昼から @tomo_wbくんの中間発表。なにやらトラブルがあったようで予定が大幅に遅れていたが、順番を入れ替えて先に終わっていたりしたのでなくてよかった。

午後は意味談話解析勉強会。今日は teruaki-o くんが

  • Dmitriy Genzel, Jakob Uszkoreit, Franz Och. "Poetic" Statistical Machine Translation: Rhyme and Meter. EMNLP 2010.

について紹介してくれる。これは翻訳するとき翻訳の対象(翻訳先)言語に韻を踏むかとか音節数が決まった数だとかの制約をかけ、翻訳(デコード)するときにそれぞれに対応する素性が発火したらペナルティを加える、という形で「詩」っぽい翻訳文を生成する、というもの。この発想はなかった。おもしろい (笑)

大域的な制約を満たすような出力を好むように学習する、という話では整数線形計画法(ILP)とかの形で書いて制約をかける、という話とつながるのかなと思ったが、やはりあるらしい。

  • Ulrich Germann, Michael Jahr, Kevin Knight, Daniel Marcu and Kenji Yamada. Fast Decoding and Optimal Decoding for Machine Translation. ACL 2001.

これは ILP を統計翻訳の IBM Model 4 の計算に使いますよ、という話。ILP は遅いが正確な解を返してくれる、ということ。なるほど……

ちなみに上記の Poetic Statistical Machine Translation は Google Research Blog にも書かれているように、査読も詩で返ってきたという非常におもしろい論文で、これだけでも十分楽しめる (笑) こういう遊び心は大好きである。

そういえば NAIST の「学長通信」で「良い研究」とはという話があったが、なかなか難しいお題である。末尾に書いてあることが磯貝学長の伝えたいことだと思うが、なるほどな、と思った。

学生諸君にとっての良い研究という意味で重要なことは、自分を科学者として育てることが出来るような研究である。それは得られるべき研究成果の問題というより、研究の過程の問題なのだろう。その研究の過程で得たことが、後の科学者人生に生きてくるような研究、それが学生諸君にとって良い研究なのではないだろうか。急ぐことばかりがいいわけではない。学生諸君にとっての研究が教育の一環であるなら、その研究の成果はあなたたち自身でもある。

1本1本の研究がネタ的におもしろいことはよいのだが、自分がどういう人になりたいか、ということを考えて (いや、考えなくても結果的に)、それにつながるステップになるような研究を積み重ねていく、ということが大事なのかなと思う。

最近自然言語処理と計算言語学について考えるのだが、影山太郎先生のプロフィールに書かれているプチ自伝を読んで立ち止まる。

寺村秀夫先生が,在外研究のKansas大学から戻られ,大学院の授業を担当されました。林先生と寺村先生の合同ゼミが土曜日の午前中に開かれ,この授業によって,高校時代まで国語嫌い,国文法嫌いだったボクが,日本語に対する興味を初めて持つことができました。寺村先生は,当時,ご自分が考えておられたテーマをそのまま,学生にぶつけてこられました。「学生が多い」と言えるのに,「*多い学生」と言えないのは,なんでやろ,というのが一番印象に残っています。「なんでやろ」というのが,寺村先生の口癖でした。個人的にも,「影山さん,これはなんでやろ」と,よく話しかけてこられました。
 寺村先生が,よく口に出された信念は「日本語の研究というのは(留学生などへの)日本語教育に役立たなければ意味がない」ということでした。おそらくその真意は,言語の研究というものは,机上の空論で終わるのではなく,その成果を社会に還元しなければならない,ということだったのだろうと推測します。僕自身も,この10年ほどで(阪神大震災のときから),ようやく,学術的研究はどのような形であれ,社会に貢献しなければならないと強く思うようになりました。

寺村秀夫先生と言えば「日本語のシンタクスと意味」(特に第3巻) には修士論文を書いていたときお世話になったが、

日本語のシンタクスと意味 第3巻

日本語のシンタクスと意味 第3巻

「日本語の研究というのは日本語教育に役立たなければ意味がない」という信念は、心に残るものがある。ちょうど一昨日研究者に必要なのは人のためになにかしたいという気持ちと足を一歩踏み出す勇気というエントリを書いたが、日本語の言語学の研究だったら日本語教育がそのフィールドなのかもなぁ。