20歳になりました

16進数で(お約束)。Facebook やら Mixi やら Twitter やらでお祝いのメッセージくれたみなさんどうもありがとうございます。

今日研究室に来た新 M1 の人に「自分は M1 で入学したとき26歳だったけど、4つ下の同期とは同期だったし、年齢差は感じないですね。NAIST飛び級する人もいれば自分みたいに回り道する人もいるし、いろんな人がいておもしろいですよ。自分も文系から来たけど松本研は2割くらいは文系出身だし、2割くらいは女性だし(←悲しいことに情報系にしては珍しい)、3割くらいは留学生だし、いろんなバックグラウンドの人がいるのは楽しいです」と言ったら、実は自分より年上で M1 に入ってきたという強者の人もいて、ちょっとびっくり。とはいえ、それでも研究的にはあんまり関係ないような気はする。命短し恋せよ乙女、人生は待ってくれないのでやりたいと思ったときにやりたいことをするのが一番。

午後は研究室の教授・准教授による研究内容紹介。毎年同じような話なのだが、恐らく聞いている自分の視点が毎年違う(成長している)ので、いつも新たな発見がある。明日は自分が研究内容紹介をしないといけないのだが、月曜は新任助教講演(普段なら2-3人で1.5時間なので1人30分でいいらしいのだが、今年4月に着任したのは自分だけのようで、45分-1時間やってほしいとのこと……1週間前に言われてびっくりした)だし、水曜は研究室での勉強会紹介だし、意外といろいろやることがある。むむ。

NAIST は来年度から英語だけで卒業できる「国際コース」というのの設置を準備しているようで、今年から授業の1/3が英語によるものとなるらしい。今年のシラバスを見ると、確かに「英語による講義」と書かれたものがたくさんあるし、そうでない講義でもシラバスは英日併記されていたり、これはやる気かもしれない。日本人でも行きたくなるような大学院にするために、こういう取り組みは地道だけど大事だと思う。

自分は駒場にいたとき AIKOM (Study Abroad in Komaba) という制度を使ってシドニー大学に9ヶ月滞在していたのだが、帰ってきてから大学でも交換留学生で日本に来ている学生に向けて英語でリレー講義が開催されていたので受けてみたことがある。それで分かったことは、東大の教授連と言えど英語による授業ひどいもので(まあ日本語で同じ講義を受けてもあまり変わらない内容だったのかもしれないが)、わざわざ日本に来てこんな講義を受けさせられる留学生がかわいそう、と思ったものである。たとえば、自分の書いた日本語の原稿を学生に翻訳させたような紙を1時間ひたすら棒読みするだけで、終わったあと質問タイムになったら「質問は書面で受け付けるので後日回答します」と言ってそのまま帰った、あれなら全部日本語の講義にしたほうがまだましではなかろうかり(もしくは、原稿を印刷して全員に配って「これ読んでね」で終わりとか……)。リレー講義なので全部で10人あまり講師がいて、2人くらいは「これは出てよかった」と思ったが、それ以外は上記の講義と似たり寄ったりであった。京都大学が UC Berkeley と交換留学をしていて、UC Berkeley から「あまりに授業のレベルが低い」と交換留学提携を打ち切られた、という話を耳にしたことがあるのだが、(京都大学の授業は知らないが)あんなふうな授業ばかりしていたら、そのうち世界中の学生から相手にされなくなってしまうのではなかろうか? (日本人だけ相手にしていればよいのだろうが)

確かに日本人が日本人ばかりを相手にうまく使えない英語で授業をして教える方も教わる方もチンプンカンプンでうまく行かない、ということもありうるだろうし、大きな大学で一気にやろうとしても十中八九そうなってしまうのだろうが、たぶん NAIST くらい尖った大学であれば、講義を急に英語にすると言ってもなんとかなるのかもしれないな、と思わせる。(ちなみに奈良先端大は奈良尖端大ではない) 

自分も来週の着任講演は日本語でもそのうち授業は英語でやることになるそうで、今から心構えをしておかないと……

20歳と言えば(しつこい?)自分が本当に20歳を少し過ぎたころ

二十歳のころ―立花ゼミ『調べて書く』共同製作

二十歳のころ―立花ゼミ『調べて書く』共同製作

を読んだのだが、これは非常にためになった。東京大学教養学部(1-2年生)の立花隆ゼミの授業の一環として「誰でもいいので大人をつかまえて、その人が20歳のときどういうことがあって、どういうふうに生きていて、どういうことを考えていたか」というのを聞いて書く、というゼミがあったそうで、この本はそれを取りまとめたもの。おもしろそうな人のところからランダムに読んでいると、どれもおもしろくて順番に読んでいたらほとんど全部読んでいたのだが、あとから振り返ると見えてくるもの、というものはある。いろんな人がいても、そういう人たちを「20歳のころ」という視点で輪切りにしてみると、1年でできることはたかが知れているし、それでもいろんな出会いやドラマがあって、「事実は小説よりも奇なり」とは言うが、実際の話を聞くのが大変おもしろい。20歳の人でなくても楽しめるので、手に取ってみてはいかが。最近は文庫が出ていて求めやすくなっているらしい。分厚いので文庫にするとき2冊に分かれてしまうのは仕方ないが、年代も職業もてんでばらばらな人のインタピューが隣り合っていたりする元の単行本が自分は好きだったのだが、インタビュイーの年齢で2冊に分けてしまったのか。うーん、それはもったいない。NAIST と同じで、いろんな人が一同に介しているのがおもしろいところなのに。