情報処理学会 2010 全国大会本会議2日目: 人工知能研究から環境知能研究へ

中日は言語処理学会的にはポスターセッションの日なのだが、情報処理学会のイベントのほうがおもしろそうだったので、そちらに参加。まずは人工知能研究の新展開 -日本発世界へ-。スタイルとしては5人のパネリストがそれぞれ「人工知能とはなにか」とか「今後の人工知能研究はどうすればいいか」とかいったお題を与えられて10分程度ずつ話し、最後にパネル討論、という形。

問題提起にもあったのだが、ドラえもん鉄腕アトムのようなロボットを作るのは「人工知能 Artificial Intelligence」と言ってもよさそうだが、たとえば最近研究が盛んなウェブからのデータマイニング(@ymatsuoさんの専門)なんかは、一応人工知能領域の研究ということになっているが、「人工知能」という名前は適切ではないのではないか、という話。こういう改名の話は10年おきくらいに出ているらしいのだが、ここ10年の流れとしては、個の知能を実現する人工知能という考え方から、世界や環境の中で集団としての知能を実現したいという展開になっており、「環境知能 Ambient Intelligence」という言葉がヨーロッパを中心に使われ始めているそうである。ちなみに NAIST でも数年前「環境知能学講座」という研究室が立ち上がり、確かに流行っているのかも、という気はする。

自分は環境知能でも人工知能でもどっちでもよくて(どちらでも AI 学会のままだし(笑))、歴史的経緯も含めて人工知能のままでいいのでは、という気もする。いちばん新鮮だったのは、どなたの発言だったか失念してしまったのだが、人工知能研究は常にいちばん難しい問題に挑戦するのが人工知能研究であり、簡単な問題は人工知能の研究ではない、という話。実はコンパイラなんていまでは人間がやることではなく、計算機にやらせるのが常識だが、50年前はコンパイラの研究は人工知能の研究分野であり、プログラミング言語を解析するなどという高度なことは計算機ではできないと思われていた、と(もっと言えば数式処理も人工知能の一分野だったこともあるとか)。

話は少し変わるが、哲学というのは科学や言語学や心理学たちが哲学から出て行った出がらしの学問であり(たとえば科学というのは19世紀まで存在しなかった。それまでは自然哲学と呼ばれていた)、人工知能研究からたくさんの分野が巣立って行った状況というのは、ちょうど哲学の話と重なるのであった。哲学出身の自分としては、こういう状況は自分に取ってはすごく自然であり、なんで自分が自然言語処理ではなく人工知能のくくりのほうが好きなのかな、という疑問に関して一つ解答を見つけることができたので、それが分かっただけでも今回のイベントは実りがあった。自分的にはそういう閉塞感のある状況の方が、もっと言うとその閉塞感を打破して新しい分野を作ろうとしているような揺籃期のほうが、居心地がよい(好き)のだろう。

パネル討論で一つ、「同じ研究が数十年経ってリバイバルし、過去の知見が生かされずまた失敗することがあるが、それはそもそも悪いことなのか、そして悪いことだとしたら、そういう世代間の知識の伝承を行うにはどうしたらいいか」という趣旨の質問をしたのだが、はこだて未来大の中島さんが答えてくれて、「過去の話をもう一度やるのは、状況が変わっていてうまく行くこともあるので必ずしも悪いことではないし、論文を書くなんて新規性のある新しい研究がしたいから書くのではなく、あとに続く研究者が同じ間違いをしないために書くのであって、同じ間違いをしなければいいのではないか」ということを教えてくれた。確かに「他の研究者が同じ間違いをしないために論文を書く」というのはどこかで読んだこともあったのだが、最近業績ばかり気にするようになっていて、新規性のある仕事をしないとだめだというような強迫観念があって忘れていたので、自分の身を恥じた。

先日紹介した

大学教授という仕事

大学教授という仕事

をもう一度引用しておくが、

以前に自分で考えてみたけれどうまく解けなかった研究テーマを、学生に話すことはよくある。たいていは、むずかしくて解けないだろうなと内心思いながらである。ただし、自分が昔に挑戦して解けなかったということはなるべく言わないようにしている。なぜなら、それを言うとむずかしい問題らしいという先入観が学生に入ってしまい、解ける問題も解けなくなるといけないからである。「こんな問題があるんだけど、いつかちゃんと考えたいと思っているんだ」というような感じで話す。するとたまに、それを学生が解いてしまうことがある。

ということもあるし、先入観を持たずに研究できるのは若手の特権でもあるので、若いうちにいろいろと挑戦したい(もっと若いみなさんにはがんがん挑戦してもらいたい)ものである。