やりたいことはなんですか 見つけにくいものですか

ちはやふる (7) (BE LOVE KC)

ちはやふる (7) (BE LOVE KC)

が出ていたので購入。この日記で取り上げたこともあるが、この漫画はこれまで読んだ漫画の中でトップ3に入るくらいおもしろい漫画なので、買おうかどうか迷っている人はぜひ :-)

最近縁あって修士の人たちの研究や開発の相談に乗ることが多いのだが、なんだかやることを一つに決められない人ってのは、やりたいことが多くて絞り切れない、もしくはやりたくないことが多くて絞り切れない、そういうことなのかなー、と思った。

今回の巻の中で唸ったセリフは

やりたいことを思いっきりやるためには
やりたくないことも思いっきりやんなきゃいけないんだ

というもの。自分が修士のころを思い返しても、M1 のときはずっと研究テーマをできるだけ決めないよう、決断から逃げて回っていたし、そうはいっても修士論文のテーマはこれにするしかないし、一つに決めてやらないと、と腹をくくることができたのは M2 の12月。それからは吹っ切れて研究するのが楽しくなったのだが、あのころの自分と比べると今の M1 の人たちはみんなまだ前向きなんではないかと思うし、みなさん優秀なのだと感じる。

前も書いたが、入学前からドクターに進むこと以外考えていなかった自分ですら、M2の4月から11月までは「このままあと3年研究するんだろうか」と思って悩み、研究も一向に進まず、自分がなにをやっているのかも分からず右往左往して(結局半年間くらいなにもしていなかったように思う)、就職活動もしたし、本当に博士に進んでいいのか? 他にやりたかったことはないのか? いまの状況が3年続いたら精神的におかしくなると思うが、まだ引き返せるうちに引き返したほうがいいんじゃないか? と思い悩んだし、最初から研究が好きで好きでたまらない、一生を研究に捧げる、という人でなく、消去法で「研究ってまだやったことないけど、研究者になりたいなぁ。それが無理でも、博士まで研究にチャレンジしてみて、研究の仕方を勉強して、研究に関係するような仕事をしたいなぁ」などと思っている人は、博士に進学する(と決断する)と、恐らく大変な後悔をするだろう。

全員が全員そうであると言うつもりはないが、自分と同じようなタイプの人に向けて言っておくと、「研究」を「勉強」だと思っていたら間違いなく後悔する。たぶん大学(学部)まで勉強が好きな人であればあるほど陥りやすい罠(大学受験までスムーズに来た人は、勉強ができるからクリアしてきたというよりは、勉強するのが好きだからできるようになり、それで大学に来た、という人のほうが多いように思う)である。

大学院に来るまでは、勉強すればいい成績がもらえたし、勉強することを周りも推奨するし、これをやっていればいいんだ! と思う(学生は勉強が仕事だと思ってよい)のだろうが、大学院から先は全くそんなことはなく、勉強したから誉めてくれるということも、勉強しているからすごいということもなく、勉強は趣味でやるのはいいが仕事ではなく、院生の仕事は研究であり、研究というのは論文を書くことなので、それまでインプットしていればよかった(あとはせいぜい試験でアウトプット、つまりインプットがどれだけ正確で高速かを評価される。たぶんそれはアウトプットと呼ぶに値しない)のに対し、インプットすることが評価されないし、アウトプットこそが全ての価値の源泉なので、論文を書く、そしてその中でもとりわけいい論文を書かないといけない、というのは、それまでやってきた(得意な)こととは全く別種の仕事であり、いくら勉強が得意でもこれが得意であるとはかぎらないし、勉強が好きであってもこれが好きともかぎらないので、イメージや憧れで先に進むのは危険であり、挫折感を感じるのはある意味当然だと思う。

前京大の田中先生が「最近の学生は挫折を知らないので危なっかしい。挫折をスマートに回避するような生き方をしているのだと思う。就職活動で人生初めて挫折して、そのまま起き上がれなくなる人がいるのだが、もっと早いうちに人生で大きな挫折を経験したほうがいい。」とおっしゃっていたのだが、確かにそうだなぁ、と思った。

思い悩んで現在に至る自分からのアドバイスとしては、修士の後半から博士課程はそれまでの「勉強」とは違うので、進学しないことも含めてあらゆる可能性を放棄しないで検討したほうがいい(就職活動するなら1月までにするかどうかを決めないと、消去法で博士に進学することになってしまうが、それはやめたほうがよく、1社だけでもいいので就職活動はしておいたほうがいい)、ということと、同期に加え、昔からの友人や先輩、恩師の声に耳を傾けること、かな。

研究ができない苦しみ(や愚痴)を分かってくれるのは境遇が近い(たとえば同じ研究室であったり、同じ大学であったり)同期であり、基本的に大学院に進んでいない人とはどんどん話が合わなくなっていく(家族からも理解されない)ので、同期は(いるなら)心底大事にしたほうがいい。彼らは就職してからでも研究室の中の話題に数年間は付き合ってくれるし、その数年間の孤独な時間を稼いでくれる間に、研究が軌道に乗ればめっけもの。

昔からの友人や先輩は、自分がどういうことをしたい人かってのを知っているので、相談すると「それは向いている」「いまやっていることはやめたほうがいいんじゃないの」と教えてくれる。自分が近視眼的に「これやろうと思っている」と伝えて「いや、小町は単に頭がいまそちらに向いているだけで、冷静になれ。正しい選択肢はそっちじゃなくてこっちだ」と言われ、いや、そんなことはない、自分はちゃんと総合的に判断しているから間違ってない、とムキになって反論することあるのだが、時間が経って遠くから振り返ると、彼ら・彼女らの言うことが正しかったなぁ、と思うことも多々。なので、最近は誰かから忠告されると、自分が攻撃されたとまず思う前に、いったん言ってくれた言葉を受け止めて、身体の中に入れる(という表現で伝わるか心許ないが)ことにしている。

最後になるが、やっぱりやりたくないことから逃げ回っていると、やりたいこともそのうちできなくなるので、どこかでは覚悟を決めるしかない。覚悟を決めるまでに3週間かかるかもしれないし、3ヶ月かかるかもしれないし、1年以上かかるかもしれないけど(そういう意味では自分は他の人が22歳で就職するのと比べると、32歳で就職なので、覚悟を決めるまでに10年余分にかかったと言っていいか)、いつかは答えが出るものなので、気長に考えていいんじゃないかな。